ひとりごと その64

クルマのハナシをはさんでまたまた少々下品なハナシが続きます。

何を隠そうワタクシ幼い頃から「屁こき虫」なのであります。
た、たぶん遺伝子のせいで腸が弱いんですね、腸が・・・遺伝子のせいで・・・。

6年ほど前から再び母親と同居するようになってから判明したのでありますが、
この性質は母親譲りであることを確信いたしました。
81歳の母親と夕食だけは一緒に摂るのですが、その時。
椅子に座ってはパスッ、立ち上がってはプリッ・・・おいおい飯食っとんねんぞ。
しかもレディーやろ、一応。
耳遠いから聞こえてへんのかな。
でもねぇ、指摘できませんよ。本人も知らん顔してるしね。
なんか指摘するの、可愛そうな感じもあるんですよね。
ユルなるんやろか?やっぱし・・・

で、自分はどーなんや・・・というとですね、人前ではもちろん、身内しかいなくても、
ガマンします。この歳になってもまだなんか恥ずかしいんですよね。カッコ悪い。
平気でできる範囲はですね、まず当然ながらひとりの時。
思いっきりこきまくり。
かみさんとふたりの時。
この時でさえ、TPOによっちゃあ遠慮しますよ。
以前、息子らと4人で暮らしてた頃は息子らの前でも平気だったのに、別々に
暮らすようになって、たまにやつらが帰って来てる時なんか、えらいもんですな、
おとーさん、ガマンしちゃってますよ。なんかカッコ悪くてね。

以上のような事実から導き出される結論と致しましてですね、「ずーっと毎日一緒
に暮らしておる者の前でしか平気で屁はこけない」ということができるのではないか
とワタクシは考えるわけですね。
平気で屁をこけるか否かによって、人間関係の縮図が浮き彫りにされるというのは
なかなかおもしろいですな。

ついでに「屁」についての考察に及んでみましょう。

他人の屁は耐え難く憎いが自分の屁はけっこう「かわいい」
これはぼくだけではないはずですぞ。

歩きながらこくと、10連発以上に細かく分散される。
小学校の頃は登下校の際にこれで友達と遊んでましたね。

こいてない時に「おとーさん、屁こいたやろ」と指摘されると無性に腹がたつ。
これは夕食が済んだあとにちょっと物足りなくてなんか戸棚や冷蔵庫をゴソゴソ
するときにかみさんから「なんぼほど食べんねん」とつっこまれた時にも感じる
腹立たしさですな。
寝てないのに「寝とった」と言われた時の腹立たしさにも通じるものがあるように
思います。
こいたら、こいた云うわい!

「すかべのほうが臭い」説には疑問を感じる。
どっちも臭い。

人間だけじゃなく犬のこうめもよく屁をこくヤツです。
屁こき虫犬といっても過言ではないでしょう。
昼寝しながら知らん顔してスカベをかますもんで、困ります。
最悪なのは晩寝るときに布団のなかでやられる一発ですね。
眠気も飛んでいくっちゅうハナシですわ。冬でも窓開けます。

それではまた、ブリッ・・・・・あっ・・・・

へへへ・・・へ

年の終りに

ひとりごと その67

叩きます?

ひとりごと その66

ワタクシ、人間の子供ふたりと犬2匹を育てただけなのでエラソーに言える立場では
ないのですが、「しつけ」・・・というか体罰についての考え方をば少しだけ。

教育の現場での体罰の是非についてはさんざん語られているのですが、公の場で
発言する限り、それは不特定多数の最大公約数的な建前ばかりの正論に行きつく
のは仕方ないですね。

つまり「NO」です。絶対「NO]。

教育の場では当然ながらしつける側の人間の考え方の幅や程度が広すぎるので、
約束事として、禁止にするしかないんでしょうね。

ま、ぼくらの時代はよく叩かれましたし、叩かれる側に問題があるっていうのが前提
なので、納得してたし、誰もあまり問題にしませんでした。
今思えばひどいシーンも記憶には残ってますがね。

で、ぼくが経験したのは家庭内での「しつけ」だけなのですが、体罰については、条件
付きで「YES」ですね。
考え方としては、犬でも人間でも物心つくまでは、本能で行動してると思うからです。
(異論はあるとは思いますが・・・。)
コトバで言って理解できるレベルになるまでは危ないことや、悪いことをした時に、
それを理解させる手段として、痛みを感じさせる方が効果的で早い・・・と思う訳です。

実際ぼくもちっちゃい頃は母親によく叩かれましたし、自分の息子たちも叩きました。
危険じゃない場所を痛みがしっかりあるように、なるべくハデな音がでるようにです。
犬にもほとんど同じ感じで叩いてしつけました。
(このやり方は間違いだとよく指摘されてまして、確かに少しビビリの犬になった感は
あるのですが、2匹とも、非常に聞き分けのいいおとなしい犬に育ってくれました。)

犬の場合(いや、人の子も同じだと思いますが)きっちりしつけて、きっちり人間との
共同生活がお互い、安全、快適に送れるようにしてやらないと、わがまま放題に育っ
て、人から嫌われて、やっかい者扱いされて、結局不幸になるんですよね。
いい子に育つとみんなから可愛がられストレスなく生活できるからますます性格の
穏やかないい犬になっていくわけです。

まあ個体差も大いにあって、たまたまうちに来た犬が2匹ともそういうしつけでうまく
いっただけなのかもしれないというのは承知してますよ。でもまあぼく的にはそういう
考えを持つには十分な経験だったわけですね。

息子たちも言葉で言って理解できるようになってからはほとんど叩きませんでした。
そりゃ、人間ですからね、たまには腹たって叩いたこともありましたよ、でもまあ基本
的にはね、叩かずに育てて、自分もそうしてもらったように中学校以降はオトナ扱い
でいきました。
オトナ扱いされると普通は自分で考えてだいたい判断できるようになるもんなんです
よ、フツーはね。
要所要所だけ、締めてやれば、自分で考えて気が付くわけです。フツーはね。

いつもこういう議論を見て「うーーん、前提条件が色々ありすぎるからなぁ。議論が
噛み合わんのよねぇ。」・・・と感じるわけです。

アホな教師やアホな親に体罰容認したら、歯止めがきかなくなるのは目に見えてる
し、体罰絶対禁止にすると、ほんとに子供のこと考えてる教師や親を変に追い詰める
ことになりかねませんからね。
要はしつける側の中身の問題やってのは分かり切ってることなのに、不毛な議論が
続くのですね。

みんながよく言うように、これくらいの歳になると1年が過ぎてゆくのが益々
早く感じます。
こないだ正月やったと思てたら、もうクリスマスがやってきますね。

ワタクシ薄情なヤツなもんで、ちっちゃい頃のクリスマスの記憶といえば、
朝起きたら枕元に戦艦大和のプラモデルが置いてあってえらく嬉しかったな〜・・・
くらいしか残ってないんですよねぇ。ほんとはもっと色々してもらったかも
しれないんですけどね。

子育ての最中に、自分がサンタさんになってからの事のほうが当然ながら
印象によく残ってますね。
12月になると新聞に入ってくるおもちゃ屋のチラシとにらめっこして夫婦で
何にしようか決めるんですが、これがワクワクしましたねえ。

で、実際買いに行くのはぼくの役目で、ワクワクしながら買い物して、ワクワク
しながら家に持って帰り、当日までの1週間とか、10日とか押入れの中の
高い棚の上とかに隠しておくんですが、ほんと、こっちの方が待ちきれない
思いになってました。

当日の朝、なんともいえん、嬉しそうな顔して2階から降りてくるヤツらを見るのが
ほんとに楽しみでした。
嬉しさのあまり興奮しまくってるヤツらを見てるとこっちの方がよけいに嬉しく
なってしまいましたよ。

うちは男の子二人兄弟で、学年は三つ離れてるけど、誕生日の関係で
クリスマスの頃はふたつ違い。
お兄ちゃんが7歳だともう弟くんは5歳の関係なのですが、プレゼントにかける
金額には気をつけんといかんかったですね。

こっちとしたら、例えば、7歳のお兄ちゃんに7千円使ったら5歳の弟の分は
ま、5千円でええかってなりますやん。
だって、お兄ちゃんが5歳の時は5千円のモノやったわけですからねぇ。
それで、平等なんちゃうん?・・・というのはこれ、親の勝手な思い込みで
ありまして、4歳と2歳、5歳と3歳ぐらいの間はごまかしもきくのですが、7歳
と5歳ぐらいになると、あきませんね、ちゃんと分かっとりますわ。

仮面ライダーの変身するときに光るあのベルトね、たまたまあれをふたり同時
に買ったときがあったのですが、お兄ちゃんのは光がクルクル回るヤツ、弟
くんのはそれよりちょっとショボくて、光らなかったんですよね。

ラジコンカーにした時もお兄ちゃんの方がでかくて、アクションもいっぱいできる
みたいな感じだったなぁ。弟くんのはちっちゃいし、単純。そんな複雑な操作は
難しいやろと思うし、その方がええんとちゃうかと思いますやんね?ね?ね?
・・・・いや予算の都合の方が理由としては正しいか・・・
(しかも見抜かれていたのかぁ?)

親思いの優しい子なので(?)その時はそれなりに喜んでくれるのですが、
何年か経ってから「あの時は・・・・・・」と何回かチクリチクリと言われましたぞ。

以上のような事柄から導き出される教訓といたしましてはですね、
「歳の近い兄弟、姉妹のクリスマスプレゼントの予算はほぼ同額にせよ」
または
「平等の定義は難しい・・・」
または
「ガキだと思ってなめるなよ・・・・」
こんな感じで気をつければよろしいのではないかと、まぁ、ワタクシは思った
わけであります。

おっさんの顔みたいな
カメムシ。
ネットでみつけました。

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2008年もいよいよ終わりが近づいてきましたね。

テレビをつけても新聞を見ても飛び込んでくるのは「不景気、不景気」ばかり。
悲惨な状況がそこらへんにゴロゴロしてます。

それにしても今年のあの石油価格の乱高下はなんやったん?とあきれずには
おれません。
世界中の金持ちたちが余ったお金をもてあそんでワヤクチャにしてしまいよった
んですな。
自分らのやったことが世界中の貧困の真っただ中で暮らす大勢の人たちを
どれだけ死なせたり、苦しめてるかは実感できんのやろなぁ。

うちのような世間の末端、経済活動の末端でも今年ほど翻弄された年は
なかったですね。
北京オリンピック前に中国からの輸入品(うちではほとんど全商品)が急騰して、
信じられんペースで値段の改定を次から次にしないといけない状況になりました。
心苦しく、申し訳なく、つらい作業でありました。

で、秋口からは手のひらを返したように、景気の冷え込みが襲ってきました。
おかげさまでここの所ずっと、キープまたは微増していた売上も目に見えて
落ち込んで来ました。お客さんの数が減ってますわ。

異常な状況をほんとに皮膚感覚として実感しました。ほんとに異常です。
マスコミが煽り過ぎる感もありますが、事実は事実としてそこにあるわけですしね

いろんな声が聞こえてきます。
ネット販売をはじめては?
低価格品の品揃えを強化する?
ワーク用品以外の分野に手を出す?
いっそ副業を始める?


ここしばらくは、みんながもがき、あがき続けて、とりあえず、なんとか持ちこた
えて、人様に迷惑がかからんようにやっていかんとしょうがないでしょうね。

ぼくはこんな時こそ本業に集中するしかないと思っています。
自分が自信を持って取り組めることを迷わずコツコツと日々やり続けるしかこの
状況を脱する術はないんじゃないかと思うわけです。

成功をつかむのに早道や近道はなくて、いいと思う小さなことの積み重ねでしか
できないということをますます実感する今日この頃でありますよ。

だからぼくは休まず定時に店を開け、笑顔でできるだけ早く丁寧に仕事をこなす
しかないのです。愚直。今はそれしかないように思うのです。

よそ見せず、前だけを向いて来年からやって来るであろう大変な時代を
やり過ごすしかないと思っています。

サンタ苦労す

ひとりごと その65