孫との同居も9か月を超え、ようやく落ち着いてきたようです。

苦し紛れにコンピューターゲームを与えたことで、彼はひとりで時間を過ごせる
ようになり、我々は余裕を手に入れました。

少し心に余裕ができると、その分少し優しくなれます。
そうすると、むこうも少し心を開いて素直な反応をみせるようになります。

これの繰り返しでお互いの関係が少しずつ良くなりました。


彼も自分の居場所がようやく見つかって少しほっとしているんでしょう。




「居場所」


これがない時はほんとに心が不安定になりますね。
ぼくの大嫌いな、大の苦手な状況です。

家庭、学校、職場その他自分が所属するコミュニティーの中の「居場所」。


「居場所」が作れない環境をいつも避ける・・・というぼくの習性があるに
しても、幸い今まで「居場所」のない辛さをあまり経験せずに生きてこられた
ことに感謝しています。


それでも短期のアルバイトなどで、経験しましたね。
人間関係が築けてない状況での昼休みや、あきらかに毛色の違う人たちに
交じっての仕事。

自分をどう表現していいか分からないあのなんとも言えない焦りに似た感じ。


物理的にどこに居ればいいのか分からない上に、心にも「居場所」がないのが
わかるんですよね。

あのつらい感覚は忘れらないですね。



ま、逆に言えば「居場所」さえあれば、人間あとはなんとかなっちゃうもん
なんじゃないでしょうかね。

「居場所」ができると「これでいいんだ」「このままでもなんとかなる」
という自信が湧いてきますね。



特に「心の居場所」さえあればやっていけそうな気がしています。





ぼくも今の「居場所」を大事にしていかなくちゃね。

ひとりごと その141

居場所

ひとりごと その143

うちのヨメがちょいとお漏らししてしまいましたが(いや、情報をでっせ)、
ちょいと新幹線に乗ってみたりなんかして、九州へ行ってきたとよっとっとっと。
(博多弁にかぶれてる)

高校1年の時以来の新幹線はドキドキ、ワクワクでしたが、ほんまに速いですね。
博多なんて、在来線でちょいと京都や奈良行く感覚と変わりませんよ。
2時間ちょいですわ。

ま、アホのみのりの、アホの父親が(あ、うちのアホの次男ね)どういうわけか、
いいご縁があり再婚することになりましてね、ま、とりあえずのご挨拶ですわ。

展開はやっ!・・・ですよね。




いやね、去年の連休にいろいろ偶然が重なって、なんとなく出雲大社へ、ぼくら
夫婦で遊びに行きましてね、ほんとに何気なくみのりとお父さんにいいご縁があ
りますように・・・というお願いをしたんですよ。
http://bigjinkakogawa.sakura.ne.jp/shorttrip14.html


普段そんなことしたことない人間がお札やお守り買ったりしてね。



まあ、結果それが効いちゃったわけですよ。

笑うでしょ。

100円か200円か確かお賽銭そんなもんでしたけどね。



・・・というわけで、この春からはアホのみのりともお別れすることが決まりました。

最近はそれがさみしいと思えるくらいにはかわいいと思えるようになりましたわ。

・・・と言うかかなりやられてる?
成長させてもらったなぁーと思います。


あとから考えると、自分らが成長するために仕組まれた筋書きやったんかなぁ、
と思ったりもしますね。


ということで、近いうちにまた出雲さんまでお礼参り(殴りこみちゃうよ)に
行かんとあかんようになりました。
賽銭はずまんとあかんね。
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終わってみれば…

ひとりごと その144

夏のサッカー部、のどカラカラのヘロヘロの練習後にこっちのゴールラインからあ
っちのゴールラインまでのダッシュ20本!

そういうことが待ってるのはやってみないとわからないことで、知らないから参加したんですよね、無邪気に。


今回の孫育ては現役時代の子育てで、そういうしんどさを知ってしまった上で任さ
れたので、実際つらくて、落ち込みもひどくて、当時の日記を読み返すとひどい
グチばっかりですね。

期間が限定されてなかったのもつらかったなぁ。
人間、期間限定だとなんとかがんばれるんですよね。

もちろん、しんどいことばっかりじゃなくて、楽しいことだっていっぱいあるんですけどね。

最初は精神状態が不安定で反抗ばっかりで、なかなか「かわいい」とこまでいかな
ったけど、なつかれるとかわいくないはずはないですもんね。

「好き」って告白されるとだんだん意識しちゃう恋愛のときと似てるのかも、ですね。

実際「じいじ大好き」と口に出して言いよるんですわ、こんなんなかなか言いませんで。
守ってもらわんと生きていけんことが本能でわかるんかな?と分析してしまいましたがな。


強く願って叶った経験が何度かありましてね、

5歳くらいのとき、クルマが大好きで、「タクシーの運転手になりたい」言うてたん
ですが、店だけでは食べられなかった若い頃3年半ほど、実際に乗ることになって
いらんとこで夢叶えたりね。

自分の店を持つのもそう、ビーグル犬を飼うのもそう、3階建てに親と同居するのもそう。


実は3,4歳頃の息子らにもう一度会いたい!と強烈に思ったことがありましてね。

こんな形で叶っちゃったんですわ。


日なたくさい華奢な子供を抱きしめる「しあわせ」をいっぱい味あわせてもらいました。

無事に引き渡すまでの最後の二週間はほんとに長く感じましたが、終わってみれば
アッと言う間の1年でしたわ。
そう「終わってみれば」ね。

ヤツが行ってしまってからの生活は静かで穏やかで、あせりがなくて、以前の落ち着きを取り戻しました。

いろんな方たちに応援いただき、グチを聞いていただきどんだけ支えられたかわかりません。、

みなさまありがとうございました。

2012年4月初め

展開はやっ!

コトバ

ひとりごと その142

先日テレビを見ていたらぼくより一回りくらい若い女性タレントが、今よく話題に
のぼる「ら抜き言葉」について批判的な意見を言ってました。

「食べれる、じゃなくて食べられるでしょ!」って若手のお笑いタレントに得意げ
に注意してましたね。


見れる→見られる、しゃべる→しゃべられる、別れれる→別れられる・・・
が正しいらしいんやけど、今日びなぁ、そうかぁ〜?と思うワタクシ。



食べれる、見れる・・・は「可能」の意味しかありえんのでかえって意図してる事
がすっきりと伝わるんちゃう?と思っちゃうんですよね。

食べられる、見られる・・・やと「受け身」にもなるし、「ていねい」(尊敬?)
にもなってしまうやん、・・・と。


江戸時代の言葉を今使うひとがおらんのを見ると明らかなようにコトバは変化し続
けるもんなんで、あんまりごちゃごちゃ言うのもどうかなぁ、と思うんですよね。


ぼく自身は超ミーハーなので、流行りコトバや省略したコトバ使うの大好きなんで
すよ。ま、ええ歳こいてね。


そういえば流行りコトバに一番敏感な高校生の頃、「すごい、たいへん、ひじょうに
・・・」などを意味するコトバが日々移り変わってましてね。

「めっちゃ→めっさ→がった→ぐっちゃ→ばっり・・・」その後は全部をTPOに
よって使い分ける・・・いう風にね。


これって当時は自分らで考えて作ってるもんや、と思ってて、それが全国に広がって
いったんやなぁ〜ってね。


けど、あとからよく考えてみると、「めっさ」や「ばり」はその後みんなが使うよう
になったので、オリジナルはぼくらサッカー部のアホ連中とちゃうかったんやなぁ、と
気が付きましたわ。





ま、現代を生きるイカすヤングのナウいぼくは、街で見かけるアベックの超グラマー
なカノジョ見て、アジャパー、あっと驚くタメゴロー!シェー!と叫んでハッパフミ
フミでバッチグーなのでありますよ。



はい、質問のある人は手をあげて。