犬と一緒に暮らしていると、よく思ってしまう事。
うちはビーグル犬の「こうめ」という♀のわんこと一緒に暮らしているのですが、コイツはほとんど吠えないおとなしいヤツなのですが、その分、目がものすごくうるさいので、けっこう参ります。

なんか自分が要求したい時はとにかく人の顔をじーーーっと見つめ続ける作戦に出る。散歩の時間や店番が済んで、エサをもらうために2階に上がりたい時間などをきっちり覚えてて、見つめ続ける。・・・えーいうるさい!分かっとる!待っとれ!

その他「今、うっとーしーから触らんといて」とか「用事もないのに名前呼ばんといて」
とか「お帰り!どこ行っとんたん?」「退屈やぁー」とか、「極楽じゃぁー」とか、かなりのボキャブラリーを持ってて、目でしゃべりまくる。あと、寝ながら脚を走るように動かして、鼻をヒクつかせたり、歯をむくようなしぐさをして小声で「うーー、ホヮンッ・・・」とか寝言言うのは相当参るほど可愛いですが。

食事の時もいっつも、そばにおるので、一日一度しかちゃんとした食事をもらえない犬の立場からみたら、「こいつら、ほんまによう食うやつらやな・・・なんぼほど食うたら気が済むねん、わたしにはほんのちょっとしか、くれんとからに・・・」と言ってる眼差しでとにかく、見つめ続ける。(普通に飯食うのに何で罪悪感、感じなあかんねん?)

そうなると、これを無視し続ける、というのはけっこう難しいんですよね。
悪い飼い主の典型、とは分かっていても、ついつい、パンをひとかけら、チーズをちょっぴり、素麺を一本、1万円札を1枚(ウソです)・・・とやってしまうんですわ。

人間も一緒やけど、体に悪いもん、一切食べずに100歳まで生きるんと、、好きなもん食べて、、95歳までしか生きられへんのんと、どっち取る?・・・みたいな事とちゃうのん?・・・と思うぼくとしては、犬も同じ気持ちやろ、と解釈して、そういうもんをやってしまうんですが・・・。これは反対意見の方もいっぱいおられるとは思います。
一番身近なうちのかみさんも反対意見の持ち主です。・・・が・・・この人もやはり、ちょこちょこと、ついつい・・・。

そんな時いっつも疑問に思うのは、はて、こいつら、人間の食べてる物を少ーしもらった時の喜びと腹が減ってるのに人間どもがそばで、うまそうな、匂いをさせて、なんか次から次に食べるのを見るだけの辛さと、どっちを感じとるんやろ?って事なんです。
「もらえる喜び」と「もらえない辛さ」、どちらを多く感じてるかで、こいつらの人生?いや、ワン生、全然違ったもんになりますもんね。

そこで、さて、自分はどうなん?と考えてみる。
日々の生活って、ほとんど、ロクでも無い事の繰り返しですよね。
その中にポツリ、ポツリと楽しい、嬉しい、ワクワク、感動、癒し、やすらぎ・・・そういう自分にとって「良い」事が散らばってる。
そのポツリポツリを拾い集めながら、なんとか壊れずに生きていける。そんな感じですよねぇ。
無い事を嘆くより有る事を喜ぶ。「足るを知る」ってヤツですよね。
そうは言ってもなかなか・・・「足らずを知って」ばっかりな自分です。

人間ならそうやって、自分を納得させながらなんとか辛い日々をやり過ごしていけるけど、わんこ達にそんな事できるんやろか?それともあいつらはひたすら楽しい事だけを感じるようにプログラムされとるんやろか?そうあって欲しいとは思うけど・・・。

犬と暮らしてて、ひとつ勉強させてもっらったのは「与えるだけの愛」っちゅうもんの意味が分かった事やね。ほんまにこいつらと暮らしてると「癒し」を無償でいっぱいくれる訳ですが、こっちも「世話してやってる」って感じは全然ないなぁ。そこにおってくれる・・・それだけでええねんでって本心で思ってる。子育て時代には、若すぎたせいもあるけど、感じられんかった感覚です。

今の商売(作業服屋)を初めて、今年、25周年を迎えたわけですが、長く同じ仕事をやっていて、思うこと。
高砂で、バイトの延長みたいな感じで、喫茶店を夫婦で任されてやってて、店、できひんようになるから、当分、子供つくったらあかんよ、って言われとったのに、長男ができてしもて、(なんでやろ?未だに原因不明)ひとりで、できひんし、人雇うほど売れてたわけでもなし。申し訳なかったけど、結局2年ほどでやめてしもた。
なんとなくサラリーマンになる自分がイメージできんかったし、もともとなんか商売したいと思ってたので、その頃ぼちぼちと、あちこちにでき始めてた作業服、作業用品の専門店、「職人の店」なんか、今、流行りなんとちゃうん?トレンディなんちゃうん?とか発作的に思いついて、自分の一生の職業、決めてしまいました。
ちなみに「職人の店」というのはちゃんとしたチェーン展開してるお店の名前なのでわれわれは使えません。

ほんの少しの手持ちと、ヨメの親からの借金で、なんとか作業服屋を立ち上げたものの、全く縁もゆかりもない加古川で、全くそういう業界にど素人の若僧が、全くのイチから
こういう専門店やったって、うまいこといくハズあらへんですよね。今から思うとほんま、「無知」というんは最高の麻酔薬やなって、感じ。・・・ワタクシほとんど夢の中でした。

売り上げ、なん百円、なん千円、来客数、ひとり、とか、ふたりとかいう日は普通にあったけど、不思議とどちらもゼロはなかったなぁ。なんでか、ようわからんけど、面白い事実です。

当然食っていけるはずもなく、1年半経過したくらいから、副業にタクシー乗り始めた。
変なハナシなんやけど、ちっちゃい頃クルマがすごく好きで、大人になったら、タクシーの運転手になりたい!と真剣に思ってた時期があってね、強くお願いした事は神様、やっぱり叶えてくれはるんやわ・・・とミョーに納得したもんです。

3年半、タクシーとの兼業時代がありまして、それ以後、借金で運転資金を借り入れて、その返済のためにまた借金を繰り返すという、筋金入りの自転車操業でなんとか現在に至るっちゅうやつですわ。子供の自転車と一緒で、はじめはヨタヨタの自転車もだんだんと真っ直ぐ走れるようになり、手放しくらいできるようになり、なんと、今では自転車に乗ってる事さえ忘れてしまってる・・・って感じかな。いつまで漕ぎ続けるんやろ、この自転車。

えらい前置きが長くなってしもたけど、こうやって、長く同じ仕事を同じ地域で続けてると
自分が同じ場所にじっと座ってて、周りの景色がずーーっと動いてるような感じ。
定点観測してるように感じます。
そうやって、まわりを眺めながら思うのは、ま、無常っちゅうのん?、盛者必衰の理っちゅうのん?なんか、そんなもんやなぁ。
主なお客さんはやっぱり、土木、建設、建築系の人たちなんやけど、この業界は、浮き沈みが激しいですわ。
バブルの頃や、ここらへん独特のあの震災後の景気の頃、いろんな親方たちが商売を興しては、消えていったんを見続けてきた。
それで、やっぱり、長く生き残れる親方いうんは、人当たりのええ人、きっちりしてる人、
柔軟な考えのできる人、きつい仕事を自分から率先してやる人、ユーモアのセンスのある人・・・・そういうタイプやと思うなぁ。
えらそーに言うたり、ええかげんな事する親方も、ガバっと儲かる時があるんやけど、どうもそれが長続きせんのよねぇ。
ま、それでも全部が全部、そのパターンてわけじゃないのは当然で、なんで、あんなんで続けていけるん?いう人も、ええ人やったのになんで?って人もおるけどね。

あと、離婚・・・多いですね。全然珍しくなくなった。周りにごろごろおるわ。これも一定の事をキープする難しさをひしひしと感じるとこですね。
ま、この場合は無理に続けるよりはサッサと見切りつけた方がええことも多いけど・・・。

定点観測いうくらいやから、自分の方はほんまに変化ない感じやなぁ。
バブルの時も仲間に入れてもらえんかったし、震災後の景気の時も「実力のなさ」で取り残されてしもたもんね。でも、ほんま、その分、じっくり周りが見える気がします。

何かを「始める」事はそんなに難しくないといつも思う。タイミングと勢いで、けっこう、なんとかなってしまうんですよね。商売も、結婚も。趣味の世界もそうやね。・・・でもやっぱりなんでもそれをキープして、続けて、守っていくっちゅうのが難しいと思う。3年はなんとかなっても、10年、20年は大変や。
続けてみて、やっと分かることもけっこうあるからね。

・・・と平凡な人間はそういう環境を与えられた事に感謝しつつ「続ける事」に価値を見出し、才能の有り余る人は、次から次に違う分野で花咲かす事に価値を見出すんやろね。いろいろおるから世の中うまいこといくんやわ。

・・・で、結局そういう自分らのようなヤツは歳いってくると、一番の仕事は体調管理やってのに気が付きましたわ。とにかく、元気でないと、なーーんにも始まらん。
若い頃はなかなかここに気がつかんのよね・・・。

ちなみに続いてること・・・・・あんまり好きやないけど、仕事、それから結婚、犬の世話
ダンベル体操、バイクのツーリング・・・借金生活・・・・。

続かなかったこと・・・・・いっぱい有りすぎ・・・

顔がデカイ!・・・・・・・・・

・・・ということに気づいたんは、けっこう最近のこと。
・・・と言うても、もう10年くらい前かな。でも、それまで、その事実に気付かずに生きて
来られたって、わし、幸せもんやわぁ。中学、高校時代に気付いとったら、悩みがひとつ
増えとったとこや。

きっかけは友人の家族とうちの家族でキャンプに行った時に撮った集合写真。
なにげなく眺めてたら、うちの家族4人が友人一家に比べて明らかにアップになっとる!
部分的にアップ撮影ができるとは、やっぱりいまどきのカメラはたいしたも・・・・・・・
・・・んなはずないやろ!

顔デカ!初めて自覚した瞬間やったね。 じんぼ家は顔デカ一族やったんや。

うちのかみさんの頭がデカイ!いうんは付き合ってた頃に見抜いてた。
クルマの助手席に座ってて、見通しの悪い交差点で、左を見ようとした時に、ヤツも一生懸命、左を確かめてくれるんやけど、どうも視界を遮る面積が多いよな・・・・と気付き・・・・。「おまえ、頭でかいなぁ、じゃまやからじっとしとけいっ!」「・・・・・・・・」

他人のことは比較的早期に気付く・・・という法則ですね。

そんなやつらが結婚したわけやから当然息子ふたりも・・・親のたたりが子に酬い・・・

ま、だからというて、このデカイ顔に誰かが、けつまずいてケガでもしたっちゅうんやったら、あやまらんとあかんけど、温泉入って、お湯が全部あふれた、言うんやったら、損害賠償も考えんことはないけど、満員電車で、わしの占有空間が大きすぎて、他の人が乗れずに会社に遅刻した、いうんやったら遅延証明の発行申請のお手伝いくらいはするけど・・・・・・とりあえずそこまで世間に迷惑かけてもおらんようやし・・・・ええか・・・と・・・・

あ、それから、じんぼくんは目がちっこい!とみなさんに誤解されているようですが、実際は目の面積と顔の面積の比率の問題でありまして、・・・ま、一種の錯覚・・・・?
右目と左目の距離が東京、ニューヨーク間に匹敵するくらい遠い・・・・という事実は素直に認めますが・・・・。

いやいや、また前置きが長くなってしまいましたが、今回、書くのはそういう「顔」も含めたBODY全体のメンテナンスの心得について、わしはこう思っとるんよ・・・というのが書きたかったわけで・・・。

人間のからだって、よーく突き詰めて考えると手も足も消化器官も感覚器官も全部、脳に仕えるためにあるような気がするんですよね。脳が快感を得るためにある・・・。
(と言うか、心地よい状態にするための道具というかパーツみたいな・・・・)

その脳も実は電気仕掛けのコンピューターみたいなもんで、どうもそのコンピューターを動かしてる本体は別にあるように思える。
ま、「心」とか「魂」とかそんなもんですわ。 そいつがこの頭部のでかい精密なマシンに乗り込んで操縦してる感じやね。

クルマやバイクなどのメカ好きな人はオイル替えたり、ボルトの増し締めしたり、良さげな添加剤があれば試してみたり・・・いろいろ手を加えてみるの、楽しみですよね。
どこか調子が悪くなると、プラグやろか?キャブやろか?エアクリーナーの掃除もたまにはせんとあかんな、とか原因を探ってはひとつずつ潰していくわけです。
オンボロに乗ってるほど、ええ勉強させてくれるんですよね、これが。

自分のカラダも「乗り物」やんかって思うようになってから、その接し方と言うか対処の仕方がクルマやバイクと同じ感じになってきたんですよね。
まず、日々のメンテナンス(睡眠、食事、入浴・・・)定期点検、(血液検査、体重チェックくらいか・・・)添加剤の注入(サプリ、健康食品、降圧剤・・・)
消耗部品の交換(歯医者かな・・・)
一番大事なんはその日パっと乗った時(朝、起きた時)のフィーリングのチェックやね。
違和感には敏感になってきてます。

エンジンオイルに砂を混ぜるヤツやガソリンに砂糖混ぜるヤツはおらんのに、こと、自分のカラダに関しては無頓着な人、多いですよね。
バイクやクルマなら壊れた部品取替えたら、なんとかなるけど、カラダの部品交換はまだ、もうちょっと、未来まで、無理っぽいし。
快調に、長く乗り続けることができるよう、きっちり、メンテナンスしましょうね、マシンもカラダも・・・
違和感、感じた時の早めの処置が大事なことに気付いた今日この頃であります。

顔および全体の軽量化、フロントマスクのデザイン変更、制御装置の最新化、オートフォーカス機能の修正、(老眼ひどくなってきた)・・・・などのマイナーチェンジをほどこして
再デビューしてみたいもんですな。

ちっちゃい頃、疑問に思ったこと・・・・「空ってどこまであるん?」
親の答え・・・「どこまでも、どこまでも、キリがないんやで・・・」

「・・・・・・・・」納得いかなかった。

納得いかんまま、49のおっさんになってしもた。

空の高さ・・・つまり、宇宙の広さを考えてみる。
その昔、ビッグバンという大爆発が起こり、そのまま宇宙は膨張し続けてることになって
るらしい。
ま、その説を信じて受け入れましょ。(ビッグバンするまで収縮してた宇宙はどこにあったん?という疑問は置いといて・・・)

けど、その膨張していく宇宙が、膨張していくためにはそこには「場所」が要るんとちゃうのん?と考える。
んじゃ、その「場所」はいつからそこにあって、どこまで広がっとるのん?
と考えてしまうワシ。

ワシらが暮らしとる宇宙みたいな宇宙が他にも無数にあって、膨張したり、収縮に転じたり、繰り返してる・・・という説もちらっと読んだような気がする。
よし、それも信じよ。けど、それもやっぱり場所がいるやんか!
場所なんかないねん、そこは「無」の世界や言われても、なんか腑に落ちんワシ。

「そらぁ神さんが創らはったんや」・・・しゃぁないからこれを信じるか・・・
でもなぁ・・・その「神さん」いつ、どこで、どのように発生したん?
とヘリクツってしまうワシ・・・。神さんもそこに存在するからには何かきっかけがあったやろ、と思ってしまう。
神さんを創った神さんがおるん?けどその神さんかて・・・・またきりがない・・・

事象の地平線いうコトバもちらっと読んだ気がする。宇宙の端っこは光速で(。光速近く?)遠ざかっているから、観測者から捉える術はなく、つまり、それは「無い」ことになる・・・みたいな・・・(違うかったらごめんなさい)
けど、そこへもし行けたらそこには何か有るわけで・・・・。

結局、「無限」というモノの概念がワシにはない・・・というんがわかる。
みんな、そのことが気持ち悪くないんやろか?
ま、この3次元の世界に住んでいる限り絶対理解できん概念かも知れんのだけれど。

誰か、サルでもわかるようにこの疑問に答えてくれへんかなぁ。

タイムマシンは無理かも知れんけど、光の速度より速いモノは作れる
んとちゃうん?と前からずっと思ってる。

光は秒速約30万Kmやから、要はこれより速い状態をなんとかして強引に無理やりに作ってしまえばええんとちゃうのん?と考えるワシ。
超大型の加速器とやらを使っても、「光速近く」までしか原子だか、分子だかを加速できひんらしいけど・・・いやもっと単純に・・・機械仕掛けってのはどうよ?

まぁひょっとしてできるかも?・・・と言う規模で考えて見ると。
まず、直径10Kmのでっかいアナログのストップウォッチみたいなもんを想像してみる。平べったいドームみたいなもんを作るわけやね。
空気抵抗があるといかんので内部を真空にできる装置を取り付ける。
真ん中に大出力のエンジン、又はモーターを設置する。
その出力軸に、2枚羽根のプロペラのように長さ10Kmの棒または板を取り付ける。
これで、この棒または板が1回転すると、その先端部分は約30Km動くでしょ。
1秒に30万Km動かんとあかん訳やから、これを1万回転/秒の速さで回すことができたらええはずやんね。
その大きさのエンジンでも6千回転/分くらいはなんとかなりそう(根拠なし)なので、
100回転/秒ですよね。10対1のギヤを2回かませて100倍まで回転数をあげたら、まあなんと1万回転/秒に達してしまうじゃあーりませんか・・・。
これで、棒または板の先端のスピードは光速になった訳ですが、もしそこにカメラでも取り付ける事ができたとしたら、いったいどんな景色が見えるんやろと思いますね。
もし、一瞬で1光年先の星まで飛べるとしてそこから地球を望遠鏡で眺めたら、1年前の地球の景色が見えるわけで、光のスピードより少し速く飛びながら地球の方を眺め続けるとビデオの逆まわしのように、時間が戻っていくように見えるはずやんね。これはある意味タイムマシンかも・・・とずーっと考えとるんやけど、たぶん、この考え方はあっちこっちに矛盾や不可能があるんやろなぁ。
こういうのに詳しい人、また誰か教えてくれへんかなぁ・・・。

最近はエハラさんなんかの影響で、輪廻とか、前世とか、あちらの世界とかの
スピリチュアルな話題が世間一般で、フツーーになってきましたね
ちょっと前まで、オカルト扱いで、ちょっと、イロモノって感じやったのが、今は大真面目
で、語られ、しかも、ゴールデンタイム!
ミーハーなもんで、こういうハナシは以前から大好きなワタクシ。

魂の存在は信じてる。輪廻転生もいろんな証拠があるし、信じてる。
全ての出来事、出会いに意味がある。ってのも、歳がいくと納得できるようになってくる。
全ての人生にテーマがあって、課題を克服しつつ、転生しながら成長していく。ってのも合理的な考えとして、納得できる。

生まれた時に魂も生まれて,死んだら魂はあっちの世界へ行ってしもて、それきりやったら、いままで、地球上に発生した人間の数を考えても、あっちの世界が魂ちゃんであふれかえってしもて、おる場所なくて、大変やもんね。

でもね、・・・とここでもやっぱり、ヘリクツが頭に浮かんでしまうワシ。
今まで、転生を繰り返してきたワシの魂ちゃんはいつ、どこで生まれたん?
初めて生まれた時から人間やったん?それとも、石とか木とかなんかな?
魂ちゃんの絶対数は人口の増加に合わせて増えるように思うけど、いったいその魂ちゃんたちはどこで、生まれて来よるのん?

人生に意味がある・・・と言われても、アフリカなんかの貧しい国々で、生まれて、すぐに死んでいく子供たちの人生に、その本人にとってどんな意味があるんやろ?
その日食べていくのに精一杯で、教育も受けられなければ、そんな「意味」とかに気付くチャンスさえない訳で、魂を成長させるための人生なんて、想像もできないんでないの?
その不公平さは何なん?

衣食住がある程度のレベルで、教育も受け、戦争などの異常事態が身近にない場合に限り、こういったことを考えられる環境に身をおけるわけで、それでないと、なかなか魂が成長しにくいというのもちょっと、どうなんやろ?って思ってしまう。

そういう厳しい環境でしか、学べんことがあるからなんかなぁ。でも、やっぱり、そういう環境って、「協調」、「利他」、「気付き」なんかよりは「恨み」や「怒り」といったようなマイナス方向へもっていかれやすいもんなぁ。

宗教的な見地からじゃなく、納得してみたいテーマです。

ひとりごとその13

タイムマシン

たとえば、ターンテーブルの上でレコードが回っているところを想像してみる。
レコードの一番外側のスピードが一番速くて、内側にいくほど、ゆっくりしたスピード
になっている事に気付く。
レコード盤を支えている真ん中の銀色にメッキされた支柱もさらにゆっくりというか低速でやっぱり回ってる。同じ回転数だけど、移動する距離が少ない分、どんどん、
速度が落ちていく訳で、多分、本当の一番中心は速度がゼロ、すなわち止まっていることになるはず・・・。
けど顕微鏡を持ってきてその中心を覗いたとしてもやっぱり回ってるはず・・・。
えーいそれならば、と電子顕微鏡を持ってきて分子のレベルまで見たとしてもたぶんその真ん中にある分子は回ってる。クソーッ腹立つぅー!
つまり、理論上は止まっている点があるはずやのに、実際にはその点はない・・・
という腹の立つ事になってしまうん?・・・と考える。

在るのに無い、無いのに在る。色即是空、空即是色・・・悩む私がここに在る。

カラダはマシン?

ひとりごとその17

スピリチュアルな
屁理屈

ひとりごとその19

ひとりごとその18

キリがないわ・・・

定点観測していると・・・

ひとりごとその16

ひとりごとその15

犬の気持ちって?

ひとりごとその14

色即是空、空即是色