入所日を電話で聞いてからの6日間、長かったぁ〜〜

白熱球の電気スタンドを掛布団でくるんで何か所も焼け焦げさせて
ボヤさわぎをおこしたり、夜中に見に行く度にベッドから落ちてて
あきれさせられたり、最後の日にちょっと風邪をひかせてしまったり、
・・・と色々ありましたが、本日なんとか無事老健施設に入所する
ことができました。

とりあえずホッとしています。

「おしっこ」の意味も「おはよう」の意味も、「立つ、座る」の
意味も「吐く、飲む」の意味もなぁ〜んもわからんようになりました。
ティシュもふきんも食べようとするし、飲み込む行為を忘れるように
もなりました。


でもまあこれで向こう3か月は介護から解放されるので、仕事にも
そろそろ身を入れてがんばらんとあきません。

そっから先のことはまた追々考えていきますわ。


今朝、連れて行くまでのなんとも複雑な気持ちの入り混じった憂鬱感を
どう説明したらいいかわかりません。

つらかった・・・。

朝からため息ばかりついてた。



けど、ばあさんを置き去りにして帰ってきた後はやっぱり嘘みたいに気持ち
が軽くなってるのがわかりました。


久しぶりに仕事のことを考える気になりましたわ。

がんばろ!ワシ。



写真は入所日の朝、今から食事。
体がいつも傾いてます。
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頭の中は90%ばあさんの介護のことが占めておりますので、すみません
またまた介護のハナシです。

以前オカンを施設に入れるのに「葛藤」があるという日記を書いたのが
一か月ちょっと前。

読み返してみると、たった一か月やのに、感じてることが随分変わって
きています。
今は葛藤は全くなくて「焦り」があるだけですね。


ボケの方は更に進み、いい時、ひどい時の波もへったくれもなくなりまして、
ずーーっとわけのわからん状態が続いてます。

まあ言うならば手に負えんヨッパライの相手を毎日する感じ。

おしっこやウンチの問題は相変わらずですが、慣れてきた分スムーズに
処理できるようにはなりました。

それでも朝4時半に起こして寝ぼけとボケのダブルパンチのばあさんを立たせたり
着替えさせたり、おしっこさせたり、また寝かせたり・・・はハードです。

たいした仕事量やないんですがね。
こっちも起き起きなもんで体がガチガチでしょ。
そこへいきなりの力仕事なもんで最初のころに痛めた腰がさっぱりようなりませんわ。

目覚ましが鳴ったらすぐ起きてストレッチしてからばあさんの部屋へ行くように
しています。
腰を悪化させるとヤバイので、気を付けて動こうとするんですが、相手がヨタヨタな
もんで、支えようとして咄嗟に変なところに力が入るんですよね。

治る間もなく今朝もまた追加で痛めてしまいました。
腰いて〜〜。



うちのばあさんの主治医がこっちの焦りなんかまったくわからんアレな感じの人なので
老健入所のために必要だった健康診断書の作成に信じられんくらいの日数がかかりまし
たが、ようやく申込みが完了しまして、いよいよ連絡待ちの状態まで持ち込めました。

今月中にはなんとかなりそうな雰囲気。

ぼくとしては、なんとか無事に老健入所まで逃げ切りたい気持ちです。
風邪もひかせてはいかんし、なんちゅうても怖いのが転倒による骨折などの大怪我。

普通の病院に入院てなことになれば、認知症の患者にはやっぱり付添を付けてくれ、
と言われるものらしい。
はっきり言ってそれは無理。
なので、絶対に怪我はさせられん状態になってます。

ベッドから落ちるので落下防止の柵を工夫するのも、落ちても大丈夫なように
下にクッション置くのも、部屋から出られないように外からカギをかかるよう
に細工するのも、ぜ〜〜んぶ、ばあさんのためじゃなくて、自分が楽になる
ための努力ですわ。

なんとか逃げ切るために必死です。
逃げ切れるのか?ワシ。




冒頭で頭の中の90%は介護のこと、と書きましたが、ではあとの10%は何を
考えておるのか?ワシは。


ま、メシのことですかね。
「ストレス食い」いうヤツですわ。(え?ちゃう?)
毎晩、とりあえず全部済んでから食うのだけが楽しみになっちゃいましてね。

食ってます!
アホか?いうくらい。

太ってます!
ブタか?いうくらい。



写真は5年前2008年の春のばあさん。
この頃はよう肥えて元気そうやったなぁ。
またまたぼくの母親のはなし・・・。
ボケが進んで足腰も弱くなりヨタヨタ、ヘロヘロになったので認定を受けて
「要支援1」が決まったのが今年の1月。

それから半年であれよあれよという間にボケが進んだ。
入れ歯がようやくできあがり、やっとのことで物忘れ外来の受診にたどりついたら
やっぱりアルツハイマーの診断がでた。

レミニールという薬を飲ませて様子をみているけど、さっぱり効いてない感じ。
ますます進んで、最近はまともな時間がとうとうなくなりました。

妄想、幻覚、幻聴の世界に住んでるので、しょっちゅう知らない人が家に訪ねてきたり、
なんか文句を言いに来たりしてるみたいです。

自分の部屋もわからないことが多くなり、トイレや洗面所の場所もその都度案内し
なければわからないことが増えました。

なぜか引っ越ししなければならない感覚にとらわれているので片付け事をしようとし
ます。
足腰弱いくせに動くものですからしょっちゅう転んで顔打って「お岩さん」に変身
しています。

ほんと骨折しないのが不思議。

ウンチはつかむ、オネショはする、トイレに洗濯物を突っ込む・・・

こっちは神経の休まるヒマがない感じ。



介護認定を取り直し「要介護4」になりました。
これでようやく施設に入所できる資格ができたわけですわ。


ぼくも最近調べてようやく知ったのですが、まあ一度入ったら死ぬまでめんどう
みてくれる特別養護老人ホーム(特養)は何百人と順番待ちがあるので申し込んでも
すぐには入れないわけですが、一応在宅復帰を目的とした施設として老人保健施設
(老健)というものがあり、預かってもらえる日数は短いもののとりあえず入所
してしまえば、ぼくらは何日間かの自由を得られるわけですね。


ま、実際はそっちの施設でも期限が来たらまた次の老健・・・という風につないでいく
感じになるようなんですけどね。


ま、そういうわけで只今、申込みに向けて準備中なのですがこの作業もまた心が痛む
のですよ。


完全に「あっち側の人」になってしまってるときはね、自分の親ながら「無気味」に
感じるし恐怖も感じますからね、早く施設に入れんとあかんわい、と思うのですが、
波があるのでマシな時もあるわけですよ。


元々叫んだり、怒ったりするタイプじゃないから助かってるんですが、穏やかに
ボケてるときには「かわいい」と思わせることもあるわけですわ。

「おおきに」「ありがとな」「世話かけるなぁ」言うてくれるしね。


そこでぼくの葛藤が始まるわけですわ。

一応ぼくのこともヨメハンのこともまだわかるようですし、こんなにぼくらのことを
頼りにして、信頼してくれてるこの人を、ぼくは捨てようとしている・・・ってね。


無理してみてやって、みてやれん訳ではないとも思えてくるし。

でもどうせ24時間みてやれる訳でもないから大怪我のリスクは常につきまとう。
なかなか風呂にもいれてやれないし、排便の介助は大変や。

ぼくらの生活が壊れてしまったら元も子もないのも重々承知してる。

でもこういうの全部、自分が楽になりたいための言い訳というか理屈というか・・・


心のなかの正直な自分が言うんですよね、
「親を捨てるんか?」ってね。
姥捨て山に捨てるんか?って。

どうだまして施設に放り込むのか?、どのツラ下げて面会に行くのか?
知らない人のなかに入るのが超苦手で
とにかく家でノンビリ寝てることが大好きなオカンのことを考えると
「虐待?」という言葉が頭に浮かぶわけですわ。


でも、もう治る見込みはないわけですし、何が起こるかわからんビックリ箱みたいな
生活はしんどいのは事実。

言葉がすぐにキツくなるぼくに比べて笑顔や冗談を絶やさず介護を続けてくれてる
ヨメハンにこれ以上無理させたくない気持ちも本当。

悩んでます。

ひとりごと その159

逃げ切りたい

オカンと外泊

ひとりごと その157

ひとりごと その160

無事、老健に入所しました

86歳の母親が抜歯のため口腔外科に3泊4日の入院をした。

痴呆が進んでるとはいえ、ベッドまわりや直接本人に取り付ける
センサーもあるし、ま、大丈夫でしょう・・・ということで
なんとか預かってもらった初日。

久々に上階に母親がいない解放感を味わったのも束の間ですわ。

翌日、早朝からぼくの携帯が鳴る。

どうやったは分からんが、夜中、各種センサーをくぐり抜け、廊下へ出て
転んで顔面を打ったという。
危ないので、付添をつけてくれ、という電話。


その日の昼間の抜歯に付添い、いったん帰って、晩の8時から病室で付き添った。

ぼくはなんと生まれて初めての病院泊。
こっちも緊張してたかもしれんけど、やっぱり痴呆の進んだ母は「普段とちがう環境」
でめちゃくちゃなハイテンションでしたわ。


とうとう初めての「息子と認識してもらえん経験」もさせてもらいました。
ま、ショックやったけど、予想はしてたからOKの範囲でしたけどね。

本人の中ではまだ自分は会社に勤めているらしく、ぼくは同僚の男性になってました。
「若々しなったな」言われました。
庶務の誰ちゃんがどう、局長がどう、定期券がどう、今日、駅で待ち合わせた
のに来なかったからどうのと延々としゃべる、しゃべる。

普段はほとんど会話なんてないのにね。

ちょっと寝てはまた起きてわけのわからんこと言うてましたから、こっちはもう
完全に「こわれちゃった」と思いましてね、帰ったらいよいよどっかの施設探さ
んとしゃあないな、と覚悟しましたわ。


話が前後するけど、転んだ時に抜歯予定の歯を3本折ったらしく、それを申し訳
なさそうに報告してくれる看護師さんにぼくは「いや、ラッキーでしたやん、先生、ラクできますやん」
言うたんですけど、さすがに笑いがひきつってましたね。


けど、おもしろかったのが、その日、抜歯の処置をしてくれた若くて
キレイな女医さんが途中で報告にきてくれたのだけど、
「いやぁ、転倒されて3本抜けましたからねー」という顔が一瞬半笑い・・・(見逃さなかった)
ぼくも「よかったです、手間が省けて!」言うたけど、さすがにその後は
盛り上がりませんでしたわ。
その後残りの5本を抜いて処置は全部終了しました。


けど、実際転んだおかげで、抜く歯が減って3泊4日の予定が2泊3日になりまして、付添いも一晩だけで済んだんですよ。

まじでラッキー。

早く帰りたいもんやからばぁさん、自分で抜きよったんや、と確信しております。


ま、またまた話は前後しますが、ふっと起きてはちょっとしゃべり、トイレいったりのくりかえしで、ちゃんと眠りについたのが朝の4時ごろですよ。
おかげでこっちはほとんど寝られんかったわい。


でもまあ、セルフ抜歯作戦の成功でその日の午前中には、退院できて、家に
着いたら現金なもので、今まで通りのボケ方に戻って一安心ですわ。


あとで調べたり人に聞いたりしたら、やっぱり高齢者(とくにボケてる人)が入院
すると急激にボケが進むらしいですね。
一時的な人もいれば、そのまま元に戻らない人もいるようですが、うちのばあさん
のはどうやら一時的なパニックによるものの方でよかったです。


ま、そんなこんなでオカンとの初めてのふたりきりでの外泊が終わりました。

人間生きてると色々経験させてもらえますね、ほんとに。

ひとりごと その158

葛藤