ひとりごと その148

55歳

ぼくは2月生まれなので同級生たちがいつも先にひとつ年上になるのを見てきました。

早生まれというのか、ぼくらの時は「早いき」いうてましたけどね。

同い年生まれの子より早く学校へ上がるからですね。


その同級生たちが今次々と55歳を迎えています。


55歳というのはぼくにとってちょっと意味のある年齢でしてね。





今から31年前、ぼくらの結婚式の1週間後くらいにオヤジが体調を崩して入院し、
その1か月後に亡くなったんですよ。55歳でした。

当時はあたりまえに志願して海軍へ行き、飛行機乗りになるための訓練中に終戦を迎え
その後は昭和の高度成長時代をサラリーマンとして乗り切り、これといった趣味もなく、
お酒だけが友達で、飲んだくれては人に迷惑かけてたようなオヤジでした。

犬が好きで野球が好き。キャッチボールと凧揚げしてもらった思い出だけが残ってます。


その時23歳だったぼくは「まあ55歳まで生きたらまあまあなんちゃう?」・・・と
少し思ったんですよね。

3歳上の兄とも葬式の時「ワシらふたりのうち片方くらいはこれくらいの歳で死んでまうかもしれんな」・・・と何気なく雑談したのを覚えています。
(その兄は無事に57歳になっているので危ないのはぼくの方?)


それくらい55歳なんて現実味のない遠い未来やったわけです。


若いですよね、55歳なんて。
オヤジもまだまだやりたいこといっぱいあったんやろなぁ、と自分も同い年に近づいて
実感としてわかりますわ。




相変わらず毎日がアタフタと過ぎていってます。

いつも何かずっと先にある目標に向かって「今はとにかく辛抱して・・・」と思って
ず〜っとやっている感じ。

もっと毎日をあるがままマイペースで過ごしてみたいもんやと思っています。

「今のため」に「今の仕事」や「今やるべきこ」とを淡々と片づけて、「今」をもっと充実
させて楽しんでいきたい気持ちです。

思ってることを文字に書くのはむずかしいな。これじゃニュアンスが伝わらんな。

まぁ要するにひとことで言うならばもうちょっと余裕をもって日々暮らしたい・・・
ということですわ。

55歳にもなるのに・・・





カネか?


いやいや気持ちの問題。

そうかやっぱりカネか。
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ひとりごと その149

サッカーいまむかし

いや、去年のワールドカップ見るまで全然知らんかったし、どうせ高校生レベル・・・
と思ってたなでしこジャパン女子サッカー。

あれ以来態度を改めて見てるんですけどね。

いやぁ〜いいですね〜、おもろいですがな。

はやい、うまい、つよい、その上いっしょけんめい!
しかも分かりやすい。




昭和のおっさん得意の古いハナシをしますが許してね。



ぼくらが中学、高校の頃はDF(バックって言ってた)4人、MF(ハーフ言うてた)
2人、フォワード4人の4-2-4のフォーメーションが普通でしてね。

なんちゅうても役割が分かりやすかったんですよ。

フォワードは花形選手のセンターフォワードとそれを補佐する役目のインナーと呼ばれてた
2人のツートップ。
そこに両サイドのウィングの選手ね。

ウィングの役目はとにかくタッチライン沿いに張って、クロスを(センタリング言うてたけど)
上げるのね。ひたすらグラウンドの端っこを行ったり来たりするので、ぼくら
は「ヤリか、おまえは・・・」いうてましたわ。(あ、将棋の香車ね。一番端で縦しか動けない駒です)

自陣に戻ってディフェンスをする、なんてしんどいこと絶対せんかったなぁ。
うちらの右ウィングのワカナ、さんざん縦に走らされてバテてしもて「がったダルイ、
やっぱりタンペあかんわぁ〜」(意味不明のままでけっこう)いうてたな。

今はサイドバックがそれやるでしょ。しんどいでっせ、あれ。

自陣ゴールラインから敵陣ゴールラインまでグラウンド縦の端から端まで走りますねんで。死ぬわ。

前回でいうと右の近賀、左の鮫島ね。大胆に攻撃参加して献身的に守備もして・・・
かっちょええわぁ〜。

ほんで、昔はサイドバックいうたら目立たんけど、まぁマジメにコツコツやっとるから
試合で使こたろかい、いうタイプの子がやるもんやったのに、今は足技も得意、しかも
持久力抜群、しかもフィジカル強くて当たり負けしないタイプ・・・ってそれ万能選手
やん!いう子がやるんやもんね。変われば変わるもんじゃわ。(まさに長友の特徴やね)

トップの二人(前回やと大儀見と大野ね)って相手DFがボール回してたら追いかけま
わしてプレッシャーかけんとあかんのね。
いや、実際それで相手が慌ててパスミスしよるもんね。大事やわ。
ほとんどが無駄になる走りやけど、徹底してやる。できませんでぇ〜。

ぼくらが高校のときあんなこと厳しいに言われんかったと思うなぁ〜。
なぁヤマネ、どうやってん?あんな必死でボール追っかけたかアンタ?


バックの4人とフォワードの4人をつなぐ役目(リンクマンいう呼び方もあったな)
及び試合を作る役目がハーフの2人の仕事でしたね。
背番号10番つけてチームで一番うまいやつのやるポジションですな。
やっぱりモリタは頼りになったなぁ。


今はそのMFが4人または5人いて、守備的及び試合を組み立てる選手をボランチと
呼ぶようですね。(ハンドル、舵取りという意味らしい、まさにそんな役目)


今回は沢、阪口でしたね。

沢のいいところはいっぱいあるんでしょうが、ぼくが感じたのは相手のパスコースを
読んで、パスがでた瞬間カットできる位置に走り、ボールを奪うのがうまいことでした
ね。あれは努力もあるけど、天性の勘、センスが大きいと思ったな。


攻撃的なMFは昔のウィングの仕事もやりいの、守備もやりいの、もちろん攻撃の要
になって得点に絡みいの・・・でめちゃめちゃ忙しい。
あんなん無理。死にまっせ。

前回の川澄、宮間、すごいね。
ほんまに上手。


さて最後にぼくが高校時代やってたセンターバックのふたり。
前回は岩清水と熊谷ね。

熊谷はわりとデカいから当たり負けしなくて当然やけど、岩清水はチビやもんね。
彼女もパスコースを読んでカットに行ってチャンス作るのがうまいね。
相手FWと2対2くらいのヤバい局面でも冷静に動ける頭の良さがいいね。


ぼくらの時はストッパーとスイーパーと分けて呼ばれてたような気がするな。、
スナダがストッパーでぼくがスイーパーやったわけやけど、今から思えばスイーパー
いうても、相手FWがたいていは2人おるわけで、マンツーマンのマークが普通やった
し、ただのダブルストッパーいう感じやな。


今やったらもうちょい考えてパス出したり、守ったりできる気がするけどあの頃のワシ
ただのアホやったからなぁ〜。意味もなく血ぃたらして走り回っとっただけやなぁ〜。

DFの最後の切り札のスライディングタックルが好きなもんやから多発して、
ピンチを決定的に広げてたような記憶があるなぁ。
がんばれよ、というかもうちょい考えよ、あの頃のオレ。



・・・ということで昔のぼくらの高校サッカーと比べて色々考えてみました。

男子のはスピードも更にあるし、ポジションももっと入り乱れる感じでハタから見てて
何やってるのか分かりにくい感じがするけど、女子サッカーや高校サッカーやと
そういう役割が見ててもわかりやすい気がします。


さて作戦通りリーグ2位通過もできたことやし、これからも楽しみですわ。