ひとりごと その120

うちの店がある場所は加古川市とはいってもはずれの方で、100mも行くと
農業が盛んな稲美町になるんです。

店のまわりでも畑や田んぼがまだまだ残ってましてね、のどかなとこですよ。

んなもんで、ちょくちょく畑で採れたての野菜なんかをいただくんですね。
ありがたいことです。

でも、ま、以前にも書いたようにお客さんの顔を憶えるのが苦手でしてね、誰に
もらったのかをすぐに忘れてしまうんですよね。
近所の人で何回もくれる人はさすがに分かるんですけどね。

あげた方は覚えてますもんねぇ。ぼくなんかもあげたことは執念深く覚えてる
もんねぇ。(めったにあげたことないけど・・・)もらう方はあきませんわ。


ま、「恩知らず」いうんですか、「感謝知らず」いうんですか、とんでもない
ヤツなんですわ。
(昔、井上陽水が感謝知らずの女あはっ・・・って歌ってましたね)




でも、まぁこの歳になってくるといろんな事柄に感謝する気持ちっちゅうもんは
自然にわいてくるもんですね。


なんか最近ね、自分のまわりに飛び込んでくるプライベートなニュースが「悪い
こと」や「暗いこと」や「重いこと」ばっかりでしてね、ワクワクするような
ウキウキするようなそんなニュースとはさっぱり御無沙汰ですわ。
毎日気分が沈んでおるわけです。


なんにも起こらなかった、ほんとに平凡な日ってええよな・・・ってつくづく
思うんですよね。

いや、そういう日々を維持するために感謝すべきものがいっぱいあるよなぁ、と
思いましてね。

お客さんが普通に来てくれて、家族やまわりの人間がとりあえず無事で健康で、
世話する必要がなくて、自分のカラダも痛いところがなくて・・・みたいにね
感謝してます。





7時に店を閉めて2階に上がるとね、いっつもかみさんがふたりのおばあさんと
夕飯を食べ始めてるんですけどね。
仕事済んですぐメシ・・・ってのけっこう幸せ感じるもんなんですよね。

ま、うちのかみさん、仕事、ぼくよりけっこう目いっぱいやってね、毎日夕飯の
メニュー考えてね、7時には必ず間に合わせてね、めんどくさいことですわ。
そうやって日々の当たり前の風景を作るのにけっこう頑張っとるよなぁ、と思う
わけですよ。

ま、なんか感謝やな・・・と思ったぼくなのですよ。


ま、かみさんはこの文章をいっさい読まない人なので、(ぼくが死んだら読むら
しい)こんなことも書けるんですけどね。


ま、ノロケ?ですかぁ〜?
(ま、ばっかし・・・)


いや、感謝すべき人は案外身近におるんですよ。
素直に「ありがとう」言おう・・・。

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ひとりごと その123

えっ?またボヤキですか?

店やってると色んなお客さんが来られます。

お客さんのわがままを聞くのが仕事なんで、たいていのことは受け入れるのが
当然ですし、長くやってるので、慣れてもくるんですけどね。

何回も聞いてるのにいまだに「カチン」とくるのがありましてね。う〜ん、いつ
までも若い・・・未熟なワタクシなのであります。




箱から出して展示してある靴・・・。
種類もいっぱいあるし、全サイズ出すスペースなどもちろんないので、見本的に
1足出してるんですけどね。

よっぽどよく出る商品でない限り、在庫は各サイズ1足が普通なんですよ。
つまり、見本的に出してる商品のサイズが、そのお客さんの欲しいサイズだった
場合はその現品そのものを買っていただくことになるんですよね。

ここですわ、問題が発生する場面。

「このサイズでええけど、箱に入ったやつちょうだい」

「・・・・・。」

いや、それしかないと言うと、値引きを要求される方もおられますし、じゃぁ
いらない、という方もおられますし、新たに取り寄せされる方・・・いろいろ
ですけどね。

他人がはいたかもしれない靴をなんでわざわざ買わなあかんねん?水虫の人が
はいたかもわからんやないか・・・いう気持ちがわからなくはないですよ。
でも大型店だと全サイズ展示で現品買いが普通でしょ。いちいち在庫品をもって
きてもらうんでしょうかね。

それに、あんた、今自分がはいたやん、それは他の人にいってもええわけ?
・・・みたいに感じてしまうワタクシ。

これ、靴だけじゃなくて、更に神経質な人は吊ってる服もダメで、袋に入った
やつちょうだい・・・もあるんですよ。

長い間吊ってて薄汚れた感じになったのじゃないですよ、昨日今日吊ったばっか
りのでも言うひとは言いますね。
量販店で服、買えんやろ、思て心配しますわ。



これは売る側のわがままなんですかね。
うん、わがままなのはわかってるんですけど、なんか「カチン」とくるのをおさ
えられんのです。あきませんね。




あと、ウェストのサイズね。

だいたい作業ズボンって、70cmから3cmきざみでサイズ設定してる場合が
多いんですね。

で、よくあるのが、今自分がはいてるのが82cmで、これがちょっときつく
なってきた・・・という場合。

「83cmくれるか?」

「・・・・・。」

あのね、1cmきざみで在庫してたら2,3種類おくだけで店いっぱいになって
まうやんか・・・。

しかも同じサイズを平気で5本くれ・・・
あのね、同じサイズそれぞれ5本も置いてたらそれだけで在庫5倍にせんとあか
んのよ。

82がきつくて、85がユルユルな人、いまだかつていないから絶対大丈夫
ですよ〜〜ん。

・・・・と思うのは売る側の事情ですね。はい、すみません。





あとひとつはズボンのスソの長さを5ミリ単位で指定するお客さんね・・・。

「前のときのんより5ミリ伸ばしてしてくれるか?」


「・・・・・。」


いや、さすがにこういうときは言い返さずにはおれなくてね、ズボンのスソ上げ
やったことある人なら分かると思いますが、5ミリどころか1センチやそこらは
どうやったって誤差の範囲ですわ。
測り方でも変わるし、はき方でも変わるし・・・。
折り込む時にズレるしね。
最低1センチからの注文は笑顔で受け付けてます。はい。


いやね、精密な加工を要求される鉄工や木工関係の仕事してるとね、1ミリ2ミリ
いうたら、そら、エライことですもんね。わかるんですよ。わかります。
ぼくら、まあ言うたらええ加減な仕事ですわ。




おーーー、またグチってしまいましたねぇ。
ま、どれもこれもある一面から見たらまっとうな注文ばっかりなんですけどね、
いつまでたっても、なんかなじめん注文なんですよ。




引っ込んどけ!やめてまえ!というお叱りの声もなく、長々と
ご静聴ありがとうございましたぁ・・・。
ゴメンチャイ
         ↑
人生幸朗のシメのセリフこんな感じやったね・・・好きでした。

諸事情(ほぼグチです)

ひとりごと その122

御無沙汰してました。
いつもくだらない事ばかりを書いておりますが、今は心の中の大部分を「悩み、
不安」が占めておりまして、くだらない話題を見つけて書く、ということができ
なくなっていました。

ま、諸事情がありまして、結婚して子供がいる息子夫婦が破局しましてね、更に
諸事情がありまして、その3歳半の孫(男の子)をうちで来春から育てることに
なったわけですよ。

重いハナシでして、書くことができなかったのですが、「あいつらの問題」から
「ワシらの問題」にようやく変化してきたので、そろそろ書けるかな、と思った
んですけどね。
こんなところに書くのもどうなんや?と思わなくもないのですが、なんせ頭の中
がこればっかりなもんで、一回吐き出さんと次へ進めん感じなんですよね。



ま、ぼくと同じか上の年代の方、考えてみてくださいよ、この歳でもう一回
「子育て」やるしんどさ・・・。

そのしんどさをいつもひとに説明するときに使う例えがダッシュ20本と長距離
走まみれの練習を知ってしまった上で、中学、高校のサッカー部の練習を「はい、
最初からもう10年ね!」って言われたくらいのしんどさ・・・いうの。

受験勉強で苦しんだ人には苦手な教科を含む受験勉強を10年・・・といった方
がピンとくるかもしれませんね。

10年がかりでやっと仕上げた作品を「ごめん、テーマが変わったからもう一回
やり直して」と言われる・・・もうええですか。

ま、要はもう「やり終えた」と思っていたことをまた初めから「やり直せ」と
言われるつらさなんでしょうかね。


初めてやる分はいいんですよ、何もわからんままにつらいことも苦しいことも
夢中のうちに過ぎていきますからね。
ぼくも現役の子育てのときに「つらい」なんて思いませんでしたからね。
経験済みのことをもう一度・・・はほんと、つらい。


それに50代から60代にかけて親の介護が本格的に始まるまでの貴重な
「お気楽な時間」を失うのがつらい。「どっこも痛いところがない日」がない
自分のカラダと、老いた親と、ヨタヨタの店の経営だけを心配するのだけで、
いっぱいいっぱいでしたからねぇ。

次の「お気楽な時間」が来るころは70歳台でっせ。つらい。
ますます健康に気をつけんとあきませんわ。



けど、まあね、サッカー部のクラブ活動に例えるのには別の意味もありましてね、
「かけがえのない経験」「楽しいこと」「充実感」「成長する喜び」・・・
いっぱいイイ事もあることを知っているからなんですよね。

決まってしまった事だし、やるしかないので、やるからには前向きに楽しんで
やろう、と思おう・・・とは思っているのですよ。(まわりくどい決意やな)

現役のときもそうでしたが、ワイルドでたくましく、優しい子に育ってほしい
と、そういう子育てをしたいと思うのですが、あの「アホな若さ」がすでにもう
ない自分をどう奮い立たせるかがこれからの課題であります。


けど、まあ、一番大変なのは「母親のおらん男の子」として生きていかんと
あかん本人なんですよね。
その状況はぼくにも経験がないわけで、想像するだけですが、学校へ行ってから
はいちいちいろんな場面でコンプレックスを感じることになるんでしょうね。
そこの部分はジジババがいくら頑張っても埋められん部分で、それがつらい
ですわ。


・・・ということで「つらい、つらい」とグチばっかりになりましたが、
とにかく「やる」と決めたので、やります。
始めたことは粘り強くやり続けるだけが取り柄のワタクシです。
今回のも一生懸命しぶとくやりまっせ。




これでようやく次からまたお気楽なハナシを書いていけそうです。



ちなみに諸事情で先日1週間ほど孫を預かりましたが、毎度恒例のように
うちのかみさん、発熱と腰痛に苦しんどります。
学習せぇ〜よ。

がんばれ」というコトバがときに残酷で、言われた方が深く傷つく・・・
という意見が最近よく目につきます。


その理由や意味は理解できるんですが、微妙な違和感がどうしても残るんですよ
ね。


ドン底の状態でもなんとか仕事して、介護して、やりくりして、闘病して
ヘトヘトになってる人に向かって軽々しく「がんばれ」なんて言うもんじ
ゃない・・・という事なんですけどね。

受け取る方はもうこれ以上の努力は到底無理なのにまだ「がんばらねばならん」
のか・・・と絶望感と共に反発するんでしょう。
わからんことはない・・・。

でもそれホントは、そう声をかけられた相手の言い方の微妙なニュアンスの違い
に傷つくのだと思うんですよね。
意地悪や皮肉が少しでも入った「がんばれ」は確かに人を傷つけます。
あと無神経な「がんばれ」も聞く方はつらいもんですよね。



いろんな場面で「がんばれ」は使われるし、無理な努力を強要するような「がん
ばれ」もいっぱいあるでしょう。
でもほとんどの「がんばれ」は善意の「がんばれ」なんですよね。

一連の会話のあとで、別れ際に「ま、がんばれ」と言うときは、「おまえの悩み
はわかったよ、とりあえず、俺は何もしてやれることはないけど、おまえの味方
だよ、応援するよ・・・」ぐらいの意味ですよね。

少なくともぼくはそういう場面で使うし、言われた時には素直に「ありがとう」と
言いたいし、あいさつ代わりに使う場面では「じゃぁな」よりは気の利いた別れの
あいさつだとは思っています。

それに反発するのは「なんだかなぁ・・・」と思ってしまうわけです。



もしそれで弱った人を更に傷つけたとしたら、「誤解だよ、あなたをただ励まし
たかっただけだよ」と弁明させてほしいのですよ。


最近ぼくの身の周りにこんなのを考えるような事が起こったとかでは全然ないんで
すけどね、前からずっと気になっていたのでなんとなく・・・。


でも気ィ遣いのぼくは最近「がんばれ」が使えなくなってしまいましてね、
「がんばろ!」・・・で通してます。

しんどくて、つらいのはぼくもあんたも同じやで。まぁ、一緒になんとかやって
いこうよ・・・ぐらいの意味になりますかね。
命令形じゃない分いくぶんソフトな印象になるので好んで使います。

今でも震災の年の「がんばろう神戸」はいいスローガンだったなぁと思ってい
ます。



でもこの夏はお客さんに「暑いけどがんばろ!」と何回となく声をかけたものの
クーラーの効いた店で働く自分がそう言うのはしらじらしいよなぁ・・・と思っ
たもんですよ。


ほんとに命がけの暑さでしたからね、カラダに気を付けて無事に仕事してほしい
と思って、励ましたかったんですけど・・・うまく伝わったかどうかはビミョー
ですね。


ま、ほんといろいろ大変ですが、とりあえずがんばりますわ。

さ、がんばろ。

がんばろ!

ひとりごと その121

感謝