ひとりごと その50

ワタクシめ、人からよく「やさしそう」って言われます。
典型的なモンゴロイド系の顔つきで、ポッチャリ系、目がちっこくて離れてる
上に童顔系なんで、そう見えるんですね。

故に、街で声をかけられやすい・・・・
故に道をよく訊かれる・・・
故に観光地で写真撮影を頼まれる・・・
故にカツアゲにあいやすい・・・
・・・という構図が成り立つわけですね。
ぼくが見知らぬ人に声をかける必要に迫られた時でも、きっと自分みたいな
ヤツを選ぶやろなってのは想像できます。


んで、他人からやさしそーに見えるこの自分の本当の姿はどうなんやろ?
ってよく考えるんですよね。
というか、本当の「やさしさ」って一体何なんやろって。


ぼくは店で仕事をしている時は基本的にけっこう親切です。
気配りもします(気配りしすぎのキライもありますが)。
街に出て一般ピープルのひとりとして歩いている時も基本的に親切で
友好的でまあ礼儀正しい方だと思います。

で、やさしいかと問われると、そうでもないんですよねこれが。

正直に言うと心の底から湧き出してくる感情で親切な態度をとってるわけ
じゃないことを自分は知ってるんですよね。
なんていうんかな・・・表面的というか、打算的というか、つまり精神的に
弱い自分を守る、またはカムフラージュしている感じ・・・というんですかね。

攻撃されて傷付くのが怖くてやさしいフリをしているとでもいうんですかね。

まあ、結婚してる人は配偶者が病気した時に自分の心に正直な気持ちを
聞いてみるとわかりますよね。
本当に相手のことを思いやって、心配して、心が動揺しているのか、
それとも、相手が病気で倒れることによって、自分にふりかかってくる
不利益に対して動揺しているのか。

ぼくの場合は相方に倒れられると、仕事で処理することがめちゃくちゃ
増えて、その上、家事、親の面倒、その他の雑事で、事実上、無理。
借金の返済が滞り、破綻が見えてくる。
それでもやらざるを得ないとしても極度のストレスがかかりそうなんですね。
それに対する恐怖心から病気をした相手にやさしくするのか、本当に相手
の体が心配でやさしくするのか・・・・
もちろん、どちらか片方だけってことはないと思いますよ。
両方ってのが正解なんでしょうが、どちらに比重があるのか・・・っていうのは
ありますよね。

本当にやさしい人っていうのはそうじゃないんですよね。
精神的な強さに裏打ちされているやさしさというか、心の真ん中の部分から
出てくる感じですね。

耳に心地よい言葉を云ってあげるのは簡単なやさしさの表現方法ですね。
褒める、受け入れる、賛成する、同意する、共感する。
ぼくの得意技です。

けど、本当のやさしさを持った人は時に厳しい面を見せるもんでしょうね。
厳しい方が相手のためになる事を知っているからですね。
けど、そこには自分に強さや自信がないとだめです。
自分のやさしさに自信を持った上での厳しさ・・・・まあベタですが「愛」が
そこにちゃんとあればできることなんですね。

自分を守るための防衛本能からくる「やさしさ」と「愛」があふれて出てきた
「やさしさ」の違いですよね。

自分の考え方や行動に「愛」が基本にあるかどうかをどうやったら確かめ
られるんでしょうか。

少しの打算もなく反射的に困ったり弱ったりした相手を思いやれた時で
しょうか。

ぼくはその境地に達するまで、まだ当分時間がかかりそうな気がしています。

「やさしさ」って

バイク旅

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友情の賞味期限

ひとりごと その52

小学校や中学校くらいの頃の記憶に「なんであんな子の家の中で遊んだんやろ?」
とか、「なんであいつとあんな街までふたりで出掛けたんやろ?」とかいうのって
ありませんか?

毎朝のように待ち合わせて学校へ通ったり、近所で野球や缶けりしたり、悪い
ことして遊んだり。
でも、学年が上がったり、学校が変わったりしたらそこでプッツリ関係が切れて
しまいます。
その最中に自分がいる時は永遠にその友達と友達のままなんやと思ってるのにね。
その後の友人関係や今の自分のキャラからして、あり得ん状況が確かにその頃
あったりしますよね。

長く付き合える友達ができるのって、やっぱり自分のキャラが確立してくる高校時代
くらいからですかね。みなさんはどうか分かりませんが少なくともぼくの場合はそんな
感じです。

で、その連中とは一生の付き合いになるやろと思いながら若い何年かを過ごします。
実際、学生時代とは比べもんにならんくらいの時間を友達関係のまま過ごします。
もちろん、その間には会社の友人ができ、趣味の世界の友人ができ、取引先に
知人ができたりする訳ですが、大人になってからの友人関係は何かしらの利害が
からんだりして、やはりどこかに遠慮があるもんで、ズケズケと本音を言い合える
学生時代の友達が気楽なんですよね。

新婚時代が過ぎ、子供が小さい時代が過ぎ、学校へ行く時代が過ぎ、子供が結婚
し出す頃が来ます。そうやって何十年も過ごす間に小さな変化が重なっていきます。

仕事がうまくいくヤツ、いかんヤツ。結婚生活がうまくいくヤツいかんヤツ。
子供らがうまく成長するヤツ、しないヤツ。
親が元気なヤツ、そうじゃないヤツ。
自分が健康なヤツ、病気を抱えるヤツ。

若い時は全然気にならなかったし、実際いくらでもやり直しができるチャンスも
あるからね。でも、50過ぎると、だんだん見えてくるんですよね、取り返しのつかん
差が。

かつての友人の何人かは落伍とまではいかんけど、かなり厳しい状況の中
にいます。
それを見て、経済的な援助はもちろんできないにしても、精神的な援助まで、時に
めんどくさいと感じる現実の自分がいます。自分が自分のために生きるのが
ほんとに精いっぱいで余裕が全くないというのが唯一の言い訳なんですけどね。

そういう状況にウジウジ悩む自分がはっきり云ってうっとおしいです。
助けてやれる範囲で助けてあげればええやん、と思う反面、ほんま、かんべん
して、今、無理。と思ってしまったりします。

そういう時いつも頭に浮かぶのが「友情って何?」「友達って何?」という青臭い
命題なんですよね。

何十年と会ってなくたって、会えばまるで、昨日別れたばっかりのように気さくに
話を始められ、お互い興味のある分野の情報を交換しあい、悩みを打ち明け、
批判をし合い、何度も話した笑い話にまた笑う。
色んな刺激を与えてもらうかわりにこちらからも情報を提供する。
そんな利害関係なしのギブアンドテイクの関係がほんとの友人関係やと思います。
与えるばかり、奪うばかりの関係は疲れるし、長続きしませんね。


で、何が云いたいのかというと、友人関係にも賞味期限があるんやなってこと
なんです。

恋愛関係の賞味期限なんか、どう頑張ったって普通そんなに長くないですよね。
中学、高校と回数だけはひとに負けんくらい恋愛したぼくが言うんだから
まちがいないです。
激しく好きなのは半年、良くもって1年かそこらでしょ。
そこから先は恋愛感情で激しく好きなんじゃなくて、自分にとって必要な人に
なってしまうんですよね。かけがえのない人に。
好きという感情も恋愛感情じゃなく、人間として好きとか尊敬できる・・・
に変わってしまいます。

もし、今でも相手のことが死ぬほど好きという、ぼくと同年代の人がいたら手を
挙げてください。ぼくが変態認定して差し上げます。だってたぶん0.何パーセント
かの性癖の持ち主って変態と呼べるでしょ。うらやましい変態やけど・・・。

小さい頃の友人関係の賞味期限は1,2年、中学生くらいになると2,3年?
それから後はほぼ無限・・・って思ってたんですが、どうも違うようですね。
友人同士として良い関係を続けていくのは案外難しいもんやと感じる最近です。


変化しないものなんてないんですね。
最近まで年賀状に「相変わらずのじんぼです」というひとことを良く書いて
いたのですが、自分も昔のままじゃないことに気付いてからは書くのやめました。
「ちょっと変わったじんぼです。」

誇り

ひとりごと その51

夏の甲子園の西兵庫代表に地元の加古川北高校が勝ち残りましたね。
実はうちの長男の方が北高の8年前の卒業生でして、しかもなんと、
野球部OB。
ヤツがいた頃は市内でも一、二を争う弱いチームだったんですよ。
なんせ、合言葉が「目指せ!心の甲子園。」でしたからね。
ハナからほんまもんの甲子園はあきらめてましたね。

甲子園出場が決まった時に連絡したときも「ふーーん・・・」って感じやった
し、もう別にどうでもええんやろって思っていたのですが、なんと試合当日
は会社休んで、わざわざ東京から観戦ツアーするっていうんで、わたしゃ
それにびっくりしました。
えっ!?おまえってそんなアツイ奴やったん?いつから?・・・

ま、親としては、よかったやん、あんたこれで誇りを持って、加古川北高
野球部OBって言えるやん・・・と思ったりもしました。
後輩たちがえらいだけで本人はなんも関係ないけどね。

結局北高は甲子園初戦で強豪、聖光学院に敗れましたが、一生懸命
頑張ってる選手たちはほんと、かっこよかったなぁ。ナイスファイト。
おかげで久々にさわやかな気分を味わえました。

誇りか・・・・ええなぁ・・・
自分は誇れるモノなんか持っとるやろかと考えてみる。

そもそも誇りって何なのかとも思いますがね。

「他人に自慢できること、又はもの。」だけではちょっと違うし、
「他人から尊敬を受けること、又はもの。」も意味が狭いですね。
他人がどう思おうと自分が誇れることってのもありそうですもんね。

・・・というか、ぼくの場合は自己満足の誇りぐらいしか、ほんまに
ないよなあ。

必死で頑張って、努力して、何かを成し遂げたことに対して人は尊敬
の念がわきますね。今はやりのコトバでいうとリスペクトします。
若い頃の自分は、その努力がなかったですね。
流されるまま、楽な方へ楽な方へ・・・成り行きに任せて漂ってました。

目標を持って、つらい時期をきっちり乗り越えて、行くべき道をとりあえず
つかんだうちのふたりの息子たちや、次男のお嫁さんに対しては、
その点については完璧にリスペクトしてます。
だって、ぼくにできないことをやり遂げたんですもんね。

他人からリスペクトされる事に関しては、とりあえず誇ってもいいんじゃ
ないですかね。

さて、ぼくも無理やり何か誇れることを探してみましょうかね。

厳しい時ばっかりだけど、なんとか同じ仕事を26年続けてる。
その間病気やケガで店閉めたことがないこと。

気付くことの大切さに気付いたこと。

あとはやっぱり、息子たちですかねぇ。

誇らせてもらいましょ。

えっへんっ・・・

ひとりごと その51

毎年、この時期になるとワクワク、そわそわし始めるワタクシであります。

お盆休み恒例、年に一度のバイクでのロングツーリングに行ける日が
近付いて来るからです。
過去3年は、飛騨、信州、信州、で、今年は伊豆方面を計画中であります。

一人遊びが大好きなワタクシなもんで、今年も当然ひとりで行くのですが、
ほんとにねぇ・・・何がええんでしょうね、バイク旅。

暑い時はマジで暑いし、寒い時はめちゃくちゃ寒いし、雨が降ったら濡れるし、
日には焼けるし、ケツは痛いのにね。

行ったことのない場所に行って、流れてゆく景色をただぼーっと眺めて
いるのが好きなのは子供の頃からです。
電車や、船や旅客機と違ってバイクに乗ると、自分の前には、上も下も
右も左もなんにも障害物がなくて視界が開けるんですよね。
もろに風を受ける開放感も好きですね。できたらヘルメットは被りたくない
感じです。

空気の温度や、匂いが刻々と変わっていくのを感じられるのもライダー
の特権ですかね。まあそんなことに興味のない人にはどうでもいいこと
なんですけどね。

長いトンネルの中には冷たい空気の部分やめちゃくちゃ高温の部分が
あることなんか、みなさん知らないんでしょうね。
漁港の近くを走ると、天日に干された魚の独特のにおいがしたり、パン工場
の前を走るとなんとも香ばしい香りが漂ってきたり、京都を早朝走ると線香
の香りがしたり、山に行くと針葉樹の香りと広葉樹の香りが違ってたり。
そういったことは、むき身で移動しないとどうしても感じられん部分
だと思います。

お盆のツーリングは現地を朝から丸1日楽しめるように、まず前日の夜に
家を出て、、リエゾンと呼ばれる移動するだけの区間からです。これがつらい。
しかも10年落ち、250CC単気筒エンジンのバイクでは心細い・・・
と云うか、はっきり云ってコワイ。
ひたすら夜の高速道路を走るわけですが、単調なのです。ひたすら単調
なのであります。以前はヘルメットの中にイヤホンを押し込んで音楽を
聴いたりした時期もあったのですが、だんだんそれもうっとうしくなってきて
最近はやってません。
風の音と、エンジンの音を聞きながらひたすらくだらぬ事を考え続けます。


「お、ポルシェ、本気で走っとる!はっえーーー」
「お、うちとおんなじ紺のシエンタやん、んーあんな感じなんか、けっこう
ちっこいな」
「後ろの大型トラックそんなにくっつくなアホ、わかった、わかった、先に
行って。死ぬわほんま」
「○×運送って、うちのお客さんやん。へーこんな遠いとこまで走るんや」
「ありゃま、向こうの空光っとうし・・・頼むから降らんといて」
「・・・にしてもケツ痛てぇーー。走りながらストレッチしよ。エコノミー
クラス症候群なりそー」
「・・・ってゆうか眠てぇーー。次のサービスエリア着いたらベンチで寝よ」

だいたいこういう実にくだらんことが次から次に頭に浮かんできては
消えてゆく・・・という感じで、なんか系統だってまとまりのある考え事なんか
ほとんどできないもんですね。もったいないなぁ。
ま、でも、それがけっこう楽しかったりするんですけどね。

・・・で、少しだけの仮眠で夜明けを迎えるのですが、明るくなると不思議と
頭も体もシャキッとします。脳内にそういう物質が出るんでしょうかね。

現地に着いたら早朝からあんまり飯も食わずにクネクネ道をるんるんと
走り回ります。ハイライトの場面ですね。
カーブを曲がる度に新しい風景が斜めになりながら視界に飛び込んできて
後ろへ飛び去っていきます。
非日常的な絶景の中を走り、通りすがりにチラッと垣間見るその土地の
人たちの、ぼくとは全く無関係な日常の中を走り、色を感じ、匂いを感じ、
ぼくはゾクゾクし、ワクワクし、エクスタシーを感じるわけです。

気が済むまで走りまわったら予約してあったビジネスホテルに入り、ひとり
でテキトーに飯食ってテキトーに寝て、次の日はだいたい高速でせっせと
帰るだけです。


そうやって、旅してるその最中はほんとにほとんどの時間、しんどいとか、
暑いとか寒いとか腹減ったとか、痛いとか眠いとかそんなマイナスのこと
ばっかり感じてるくせに家に帰ってきて振り返って見ると、なんか快感だった
感触だけを思い出すんですよねえ。



いやね、人生もそうなのかなぁ・・・って思いましてね。
もし、もしもですよ、魂っちゅうもんがあって、死後、あっちの世界へ帰った時に
ですね、今回のこの、まあ、けっこうつらいことの多い人生を振り返るとしてね、
やっぱり楽しかった感触ばっかりが印象に残ってるもんなんかなぁ・・・とね。

生きてる最中はほんと、不平や不満ばっかりですもんね。
バイクのツーリングに似てるなぁって・・・。