ひとりごと その35

加古川という街を地元にして仕事をはじめて随分になりましたが実はワタクシ生まれも
育ちも神戸の西のはずれの垂水という所なのですよ。

駅から北へ10分ほど歩いたあたりのプール付きの豪邸が立ち並ぶ超高級住宅地・・・・
ではなくて二戸いちで雨漏りのする木造平屋の市営住宅でした。

玄関の鍵は壊れてて、千枚通しを引き戸の鍵穴の部分に内側から突っ込んでそれを
鍵の替わりにしてたものだから、ちっちゃい頃はカギというモノはあの千枚通しみたいな
あんな形のもんやと信じてましたもんね。
まだまだ、まわりは自然がいっぱい残ってて、春は蝶捕り、夏はセミ捕り、ブイブイ捕り
(カナブンっていうんでしょうか)秋はとんぼ捕り、コオロギ捕り、借金とり(しませんて)
・・・近所の広場で、缶けり、草野球・・・と遊びまくってました。
捕まえたセミを扇風機に放り込んでバラバラ事件おこしたり、カエルのおしりに爆竹
突っ込んで火つけたり・・・とか絶対しなかったですよ、いや、ほんと絶対しませんって。

駅の南に海神社(かいじんじゃ)という神社があり、国道2号線を渡って、南へほんの
50mもいくと、赤い大きな鳥居が立っていて、そこから砂浜が広がる海岸になってました。
中学生の頃、夏休み、サッカーのクラブ活動が終わると毎日のようにここで泳いでました。
浜から沖へ向かって30mほどの突堤が突き出していてそこから飛び込んでは漁港の
中を泳ぎ回り、漁船とニアミス・・・なんちゅう危なっかしいことばっかりしてました。
その後、たしか60円だったきつねうどん食べるのが楽しみでしたね。

今ではそこは漁港の駐車場に整備され、舞子のほうへ続いてた砂浜も、ポルトバザール
とかいうコジャレたショッピングゾーンに変わってしまっています。
市営住宅のあったあたりも閑静な住宅街になっちゃいましたねぇ。

つい5年ほど前までは、その近くで鉄筋5階建てに立て替えられた市営住宅に母親が
暮らしていたので、かろうじてまだ、垂水という街とつながりがあったのだけれど、今では
全く縁のない街になってしまいました。

それでも、なんででしょうね、いまだに自分は垂水の子やっていう気持ちがどっかに
あるんですよね。道もわからんようになってしもたし、知り合いもほとんどいなくなって
しもたし、震災があった後はよけいにわしらはヨソモンみたいな感じにもなりましたしね。
もう加古川で暮らした年月のほうがはるかに多くなってしまってるのに、加古川には
馴染めてないんですよね。加古川の子になりきれん。
ちっちゃい頃に暮らしてないから、路地裏の景色を知らなかったり、幼なじみがいなか
ったり、市場の雰囲気を知らなかったり、・・・そういったことの積み重ねなんでしょう
けどね。

ホームタウン・・・「ふるさと」というコトバはちと重過ぎる感じ・・・・。
ぼくのホームタウンはどこなんでしょうかね。いつまでたっても根をおろせずにいます。

でも、今はもう加古川にはいない、ふたりの息子たちにとっては、ここがホームタウン
なんですよね、それがなんか不思議な気がします。

ホームタウン

なくてななくせ

ひとりごと その40

ワタクシ、昔から鼻歌をうたう時に歌詞だけ歌うだけでは物足りず、なぜか
合間に入るパーカッションや、リードギター、ベース音、コーラスなんかも一緒
にやってしまう変なクセがあるんですよね。
ズンズクズン・・・デケデケデン・・・・チャ、チャララッラーとかワワワワーとかが
間にどんどん入ってくるもんやから、だんだん歌詞が歌えなくなってきて、
しまいには伴奏だけになっている・・・という状況ですね。 
みなさんそうですよね?
・・・・え、ぼくだけ?


仕事してると実際よく失敗やらかしてひとりでブツブツ言ってしまうんですが・・・
しまったしまった島倉千代子。
困った困ったコマドリ姉妹。
問題が解決したらつい・・・
よかった、よかった、吉永小百合。
出てくる名前がみんな古いなぁー。
ま、ここまでは吉本新喜劇のネタですがオリジナルもあるのですよ。
ミスッたミスッた、ミスターチルドレン!
ビビッたビビッた、ビーズの稲葉・・・
どーですかぁ?あきませんかぁ?あきませんわなぁ。


ちょくちょく買いに来てくれるお客さんにぼくらが勝手に「とんでもないおじさん」
と呼んでいる人がいるのですが。この人なぜか口癖が「とんでもない」なんです。
店内を見て回りながらブツブツひとりごと言うんですが、その内容も「ははぁー」
「とんでもない」がほとんどなのですが何か質問がある時はちゃんと呼びかけて
くれます。
おじさん・・・「LLサイズはどこにありますか?」
ワタクシ・・・「あ、はいここですね」
おじさん・・・「いや、あっはぁーありがとう、とんでもない・・・」
ワタクシ心の声・・・「いや、別にとんでもなくはないけど・・・」
おじさん・・・「ほんじゃ、これで、いくら?」
ワタクシ・・・「ちょうど千円ですね」
おじさん・・・「はい千円ね、とんでもない」
ワタクシ心の声・・・「え、とんでもない値段なんか?」
ワタクシ・・・「ありがとうございます!」
おじさん・・・「はい、はい、とんでもない」
ワタクシ心の声・・・「ん?ここは一応つじつま合うとるがな・・・」
店を出て行きながらまだ独り言ブツブツ・・・とんでもない・・・ブツブツ・・・。
ちょっと風変わりなおじさんです。

店に入ってきて、方向転換する時や商品を手に取る時にいちいち田村正和
みたいなポーズを決めるオニーチャンはうちでは「まさかずくん」と呼ばれて
います。シャイなのか目をあんまりあげずに話すところもなんとなくまさかずくん
なんですよね。顔も体型も全然田村正和には似てないんですが・・・。

あと、かっぱえびせんとか食べるとき、普通、ひとつずつつまんで口に運びますよね。
ところがワタクシ食い意地が汚いもんで、ぐわっし!といっぱいつかんで、そのつか
んだ状態のまま、端っこの方から順番におもむろにポリポリと食べていくわけですね。
これ、小さい頃から無意識でやっててね、高校ぐらいの時に友人に指摘されました。
「おまえ、その食い方やめえ」
その後しばらくは気をつけてたんですがねぇ・・・やっぱり今でも気がついたら
えびせん挟んでますね、小指と薬指の間にもしっかり・・・。

業務用の電話を受けてる時はいつもはじめに「あっ」がつくと相方に指摘されました。
「あっ、ズボンね、あっ、82センチ、あっ、3本ね。あっ、あります、あります。あっ今日
持って行けます。あっ、ありがとうございます」みたいな感じらしいです。
で、実際自分で意識してるとたしかに言ってます。「あっ」。
なんか、ほんと、小心モンって感じ出てますね。あっ気ぃつけよっと。

考え事する時、髪の毛さわっちゃうんですがそのままイライラしてくると、グシャグシャ
になるまでやってます。しかもこれ息子にも遺伝しとるし・・・。

はなかんだ後、かならずチェックいれるのはもちろん万人共通ですよね、ね、ね、

汚い方へエスカレートしそうなので今日はこれくらいにしといたろ・・・
ほんまはトイレのハナシが一番書きたいんやけど・・・

クジラたべます?

ひとりごと その39

ガラじゃないのでさけていたのですが、ま、たまにはいいでしょ、社会問題。

日本の調査捕鯨(この言い方もあやしいですが)の船がずいぶんいろいろ
やられてます。

いきなりですが、おまえは捕鯨についてはどう考えておるのかと問われれば、
はっきり言って答えに窮します。
曰く、クジラは知的生物だ、おとなしいだ、かわいいだ・・・
・・・で残酷だ。
クジラなんか食わなくても他にいっぱい食い物あるでしょ。
生態系の破壊だ。

ぼくだって同じようにように思っている部分もあります。尊敬の念さえ抱かせる
存在ですもんね。
クジラの肉が食いたいわけでもない。
でも、なんか違う気がするなあ、ピントがずれてる。過激な保護団体のやりかたも、
もちろんおかしいんじゃないですかって言いたくなります。

日本は海洋国家で捕鯨は大昔からのひとつの文化としてあったということも考え
なければならんでしょうし、食糧自給ということも考えんといかんでしょ。

クジラに爆薬付きの銛を打ち込むのが残酷なら、牛や豚や馬を電気ショックで屠殺
するのだって相当残酷ですからね。
かわいいというなら牛や馬の目ほどかわいいもんはないですからね。

いずれにせよぼくたちは自分じゃない誰かにそういう残酷な仕事をしてもらって
食糧を得ているわけですもんね。
・・・と何百万回も言い尽くされたような青臭いことをまた言ってしまいました。

犬を食う地域やサルを食う地域だってありますが、もともとい生きてゆくために
必要な食糧として食っていたものが、今では文化や習慣として残っているものも
あるでしょう。
そういう習慣をいちいち批難できるんでしょうか。

書いているうちに考えがまとまるだろうと思って書き始めたのですが、ますます
訳わからなくなってきちゃいました。
要するに外国の過激な人たちが日本の捕鯨についてヒステリックに反応するのに
どうも違和感を感じるんですわ・・・ってのが言いたいだけなんですが。

人は他のイキモノの命を奪うことによってしか生きられないようにできて
るんですもんね。

哺乳類、爬虫類なんかはもちろん、鳥類や、魚類、昆虫たち、植物だって誰も
人間に食べられたいとは思ってはいないはずですもんね。
そうやって考えてみると食べていいのは、食べてもらって種を遠くへ運んでもらった
ほうが都合がいい植物の実だけってことですかね。

ちなみにぼくたちが子供の頃は庶民の味方だった鯨肉、たまに見かけるけど、
エラい値段ついてますね。そういう意味でももう一生食べることはないかもしれ
ません。
クジラを食べるのは野蛮だとおっしゃるストイックなベジタリアンの方々、すみません。
食い意地の汚いぼくにはやはり、ついていけません。

ひとりごと その38

クルマへんたい2

あっちこっちで、自分はクルマ好きだの、道楽はバイクだけなどと言ったり書いたり
しておるのですが、ほんと、最近は少数派になりましたね、こういうヤツ。

ぼくらが十九、二十歳の頃はまわりの連中はみんなクルマ好きで、寄ればクルマ
の話と相場が決まってたもんですね。
ぼくらと同世代のヤツらが興味を失っていくのは仕方ないというのは理解できます。
生活していく上で、必要な「道具」のひとつになってしまうんですね。

夢とか理想とか、感動とかを語る対象ではなくなるわけです。
冷蔵庫や洗濯機やエアコンに夢や感動を語るヤツはおらんもんね。それと一緒。

んで、ぼくが感じるだけかも知れませんが、今の若い世代の人達の間ではクルマ好き
イコールちょっと頭よわいヤツ的な意識があるようなんですよね。
わからんことはないんです。街中で目立つクルマ好きのニーチャンは確かに誰が
見たって印象良くないですからね。そういうタイプがイメージリーダーになってしまう
んですよね。マナーも悪いしなんかチャラチャラしてる・・・または妙にオタクっぽい。

まあ、クルマやバイクとのどういう関わり方が好きなのか・・・っていうのがいろいろ
なんですよね。
パソコンが好きと言ってもパソコンのメカニズムが好きという人やプログラミングに
興奮を覚えるという少数派もいるでしょうが、普通、パソコンを使ってできる「なにか」
の方に興味があるわけですよね。まあ、大きな意味でソフトの部分ですね。

クルマやバイクもまさにそれと同じです。ハードな部分、メカニズムや車体、パーツ
そのものに興奮するヤツもいれば、誰かと走りやドレスアップを競い合って興奮する
ヤツもいるし。ソフトの部分、つまり、クルマやバイクを使った旅、写真、キャンプ、
温泉めぐり、旨いもんめぐり・・・そっちの方に興奮するヤツもいる。
その全部が好きというド変態も中にはいるでしょうが、ほんの少数でしょうね。

んで、おまえはどうやねん?と問われれば・・・ま、だいたい全部の項目にさらっと
興味のあるタイプ・・・・ですかね。
けど、一番大事にしてるのは、やっぱりクルマやバイクがぼくに提供してくれる世界
そのものですね。見て、触って、乗ってみて、走ってみて、そして「感じること」に興味
があるんです。
「感じる」ためにはバイクやクルマに関する知識や情報はもちろん、自然や文化や
風俗(あ、へんな意味ちゃいますよ!)やライフスタイルや、そういったいろんなこと
にアンテナをはって、吸収しないといけないのですが、そういうことはめんどうだとは
思わないんですよね、そこがヘンタイのヘンタイたる所以ですかね。
そうですよね?そこのヘンタイくん。

最近は時間がとれなくて、とんと御無沙汰になってしまいましたが、ぼくがお気に入り
だったバイクを使った遊びをひとつご紹介。
以前は日曜は午後から開店(いまは午前10時)していたので、深夜、または超早朝
に起き出して、バイクで出かけるわけですが。用意する物は・・・。
挽いてあるコーヒー豆、ステンレスのカップなど、コーヒーをたてる道具一式、携帯
コンロ(家で鍋物とかに使うカセットコンロとちゃいますよ、キャンプとかで使うコンパ
クトなやつね)カラの500mlのペットボトル。
それらをバッグに入れて荷台にくくりつけ(あ、背負うと肩がこるもんで・・・)
兵庫県中部や北部、ちょっと足を伸ばして和歌山、岡山、鳥取、京都なんかの山間部
や海岸線を目指します。途中のコンビニで、サンドイッチやおにぎり、コーヒーにあうお菓子なんかも忘れず仕入れましょう。
山間部の川筋なんかをどんどんさかのぼって行くと、舗装がとぎれてダート(未舗装路)に変わるわけですが、その変わる瞬間にワクワクするぼくはオフロード変態でもあります。人類、バイク好き目、オフロード科、ツーリング属の中のまったり種ですかね。いずれにせよ絶滅危惧種ではあります。

ゴミゴミした街中を走るのはいくらぼくでも苦痛でしかありませんが、こうやって山の中
や海岸沿いのワインディングロードを走り続け、途中に日の出のシーンなんかに巡りあえたりしたら、やっぱりつらい夜を走り続けた苦労が報われます。
カーブを曲がった瞬間や、トンネルを抜けた瞬間などに突然ハッとさせられる景色に出会うんですが、その鳥肌の立つような瞬間ですね。    サイコー・・・

そうして、気に入った沢筋などに平らな場所を見つけたら、自分だけのコーヒータイム
です。ペットボトルで沢の水を汲んで淹れたコーヒーの旨いこと!これはほんと。
コンビニのおにぎりだって、場所が違えば旨さも違うってもんでしょ!(あ、ウソかも、これは変わらんかも・・・」

けど、こういうのずっと以前に知人に自慢げに話したら「なんかミジメ・・・」って言われてしまったなあ・・・。ま、感じ方は人それぞれですもんね。


クルマを使っての最近の楽しみは夫婦ふたりで行く淡路島ツアーですかね。
うちからだと30分も走れば、明石海峡大橋を渡って淡路に入れるのですが、いいですよ
淡路。
景色はきれい、交通量は少ない。海の幸ならどこで何食ってもほぼハズレなし。
・・・というかめちゃくちゃ旨い!
日帰りの温泉施設もきれいで、人が少ないから、うまくいくと露天風呂独り占め!なんて
こともできるし。
とにかく、近場のわりには旅気分が満喫できて、安上がり(ここ大事)。おすすめです。
さらに、どピーカンの日に屋根を開けたオープンカーで走れたら「極楽」・・・ですね・・・。

こんなこと一生懸命書いてても、実際本人が出かけられるんは1年にほんの数回なんですよねぇ・・・。ここがほんまにつらいんです、今の生活・・・。
だから、頭の中はいつも妄想ばっかり。タモリじゃないけど、ぼくもほんと、妄想族ですわ。ここらから改善せねば!

なんでかよく分からんのだけど、頭の中にエキセントリックという言葉が
繰り返し出てくるんで、今回はなんとなくこの言葉について感じている事
を少しだけ。

奇人、変人、変わり者・・・というよりはワタクシの中では「とんがったヤツ」
っていうイメージですね。

みんなと同じ考え方、同じ服装、おなじ行動パターン・・・などにはとにかく
全部反発したい。自分をそこらのヤツと一緒にしてくれるな!
・・・みたいな勢いですよね、特に若い時って。
今ではこんなにまん丸くなってしまったワタクシでさえ、その頃は学校
にいる周りの連中とは違う生き方に憧れてましたもんね。
就活ちゃんとやって、ちゃんとした会社入ってサラリーマン・・・なんて
アリエンな、このワシが・・・って思ってました。


うちに来てくれる若いお客さんでも最近自分で事業を立ち上げたばかりの
子は、まあ、はりきってますよね。作業服そのものもちょっとみんなが尻込み
するような色選んだり、胸に入れる社名のししゅうなんかもとにかく他人と
同じ感じなのがあかんのですわ。
でっかい字にしてみたり、変った色の糸にしてみたり。

一応、おっちゃんとしては、もうちょっと普通の感じにした方がええんとちゃう?
とはアドバイスするものの、やっぱり最後は本人の好みですもんね。
その通りに作ります。
当然、目立つのでそれなりの仕事は要求されるようになりますから、自分
を鍛える意味でもええかもしれませんね。

とんがったヤツけっこう!若いのにとんがってなかったらこりゃまた困った
もんですもんね。

けど、とんがり続けるってすごいエネルギーがいるんですよね。
自分に自信を持ち続けんとあかんのです。
とんがってる部分は当然摩擦や、抵抗を受け続けるわけで、それに耐え
られる根性と理論武装がいりますしね。

まあ、理想はとんがった部分を残したまま、その周りにバリアのようにソフト
な膜を作って生きていくことかなぁ。
いろんなところにぶつかって、カドもトゲもなんもかも取れてしまったワタクシ
らのような状態の方が楽に転がっていけるし、ええんやろけど、そんなヤツ
ばっかりではおもろくないんやろね。

ぼくらの世代が思うとんがり君の代表に、吉田拓郎や、忌野清志郎、
矢沢のえいちゃんなんかが思い浮かぶんですけど、みんな、えらいエエ
オッチャンになってしまわはったなぁ・・・。好きですが・・・。

現役の

エキセントリックボーイ&エキセントリックガールのみなさん、
ま、せいぜい頑張ってください。応援しています。

ひとりごと その37

エキセントリック

猫のいる風景

ひとりごと その36

うちはけっこう、交通量の多い県道に面しているのですが、裏側は新興住宅地
が広がっています。昔からのおうちもポツポツと残ってはいるのですが、
ほとんどがここ5年ほどの間に建ったおうちばかりの地域です。
そういう地域性だからなんでしょうかね、見かけなくなりましたねぇ、猫ちゃん。

いつの間にか猫は家の中で飼うのが常識になったらしくて、それでなんかな。
猫自身の安全のこともあるし、仕方ないとは思うものの、なんかちょっと
そこんとこがさみしいんですよねぇ、ワタクシ。

ここへ引っ越してきてもうすぐ丸6年になりますが、それまで20年暮らした家
ではずっと猫と一緒に暮らしてました。
全身真っ白の雌猫で名前はベタですが「みるく」ちゃんでした。
図々しくも勝手に家にあがりこんで知らぬ間にうちの猫になったようなヤツ
なんですが、コイツはなかなか野生を持ってましたね。

飛んでるトンボをつかまえてはムシャムシャ、コオロギをムシャムシャ、
食いすぎてゲェーッ!スズメや、鳩、もちろんネズミもハンティング。ついでに
ヘビまで持って帰って「どやっ!?」と自慢げに見せに来る。
「わかった、わかった、アンタはえらい、・・・けどもう、かんべんしてね」
ってのが日常でしたね。

放浪癖もあって、何日か外泊してくることもよくありましたね。
たぶん、どっか、よそでもかわいがられて、名前とかもつけてもらってたのかも
知れません。シロとかミーコとか、イッパイアッテナだったかも。
性格は沈着冷静、クールなヤツでしたね。

飼いはじめてすぐの頃、せっかく奮発して開けてやったサンマの缶詰なのに
匂いを嗅いだだけで、フンッてしやがったので、まだまだ若かったワタクシ、
首根っこつかまえて、缶詰の中に顔押し付けて、顔中サンマの油だらけにして
しまったことがあるんですが(動物虐待ですね)・・・・それ以来、何年経っても、
そのことを覚えててワタクシのことはいつもどこか疑ってる態度でしたね。
かみさんの方には服従するんですがねぇ。
もともと家にいれたったんは誰や思てんねん・・・・て感じでしたね。

下の息子が生まれた頃ワタクシはタクシー運転手との兼業だったので、
かみさんがふたりの息子の子守をしながら店番をしてたのですが、
みるくはよく、幼い息子たちのそばで一緒にいてくれました。
ほったらかしにされてた下の息子は淋しかったのか指を吸う癖があったのですが、
みるくのしっぽをグワッシとつかみながらその自分の指をいつも吸ってました。
そのまま寝てしまうんですがなんとも言えん安心感だったんでしょうね。
いい乳母の役目を果たしてくれてました。

18歳まで生きて、最後は紙切れみたいに薄くやせてしまって、ボケも入って
きてたけど、一緒に暮らしてたビーグル犬のビーちゃん(こっちもベタな名前
です)が近くに来たら必殺ネコパンチは最後まですかさず繰り出してましたね。
ほんと、猫らしいプライドの高いヤツでした。エライやっちゃなコイツって、尊敬に
近いもん感じましたもんね。

猫が陽だまりで、毛繕いしてたり、ボーッと道行く人を眺めてたり、路地を悠々と
散歩したり、そういうの見ると、ほんとに癒されますね。
ま、最低のマナーやルールは飼い主の責任なのかもしれないけれど、
少しくらいのワルサはみんなで笑って済ませられるような、そうやって猫が
ゆっくりと街を歩けるような、そんなちょっとゆるめな感じの世の中に
なってほしいもんやな・・・とは思っています。


みるくのせいかどうかは分からんのだけれど、うちのかみさんはその後、
猫アレルギーになってしまい、今は猫と暮らすぜいたくな生活は叶わぬものに
なってしまいました。
でも、ショック療法いうんもあるしな・・・とか良からぬことを考えたり・・・。